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列車で駆け付けた長崎 元日赤臨時救護看護婦の証言

2016年08月05日12時00分

駅前に数え切れない負傷者

 8月9日、病院内で突然、班員全員が集められ、婦長から「長崎に新型爆弾が落ちた。救護で大変なので、すぐに向かう」と言われました。翌日の早朝4時に佐賀駅から列車に乗って、真っすぐ長崎に向かいました。何時間もかかったことを覚えています。713班21人で向かいました。

 長崎に着くまでの間、肌着一枚で血にまみれた人がたくさん乗った車両とすれ違いました。長崎から来た車両は、傷を負った人で満載でした。道ノ尾駅(長崎市)に着いたのは、10日午後1時すぎのことです。

 列車を降りた時、患者さんたちが駅前の広場に敷かれたむしろの上に寝かせられていました。そして、その上からもむしろがかぶされていました。数え切れないほどの患者がずらっと並んでいたのです。

 本当に無口で仕事をしました。普通は「どうですか」と声を掛けたり、名前を聞いたりして仕事をするものですが、白衣に着替える暇もなく、制服のまま仕事に没頭しました。着替える場所も暇もなかったんです。だから、制服のまま腕まくりして治療しました。

 最初に私が治療したのは女性で、お尻に爆風で折れた20~30センチの木が刺さっておりまして、衛生兵と一緒に抜きました。

 患者さんの全身に刺さったガラスも抜きました。でも、小さなガラスはどうしても取れないんです。ピンセットで取れるものしか取れませんでした。「痛いでしょう」と声も掛けることもできなかったのですが、振り返って反省しています。隣には婦長さんたちが、全身やけどの双子の赤ちゃんの治療していました。本当にかわいそうで、今思い出しても言葉もありません。

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