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生死の境、3度経験 元整備兵の証言

厳しい海軍生活

 志願して旧日本海軍に入隊した大阪市東淀川区の滝本邦慶さん(93)は、飛行機整備兵として空母「飛龍」に乗船し、ハワイの真珠湾攻撃に加わった。ミッドウェー海戦などにも参加し、戦場で3度、生死の境を経験した。南洋のトラック島では餓死の危機にも直面したが幸運にも生還。戦争の悲惨さを伝える活動を続けている。

 1921(大正10)年に香川県で生まれ、地元の商業学校を卒業した。当時、学校での教育は、男子は天皇陛下のため、兵隊になるというのが当たり前。戦死して、靖国神社に神としてまつってもらうのが最高の名誉だった。「軍艦に乗れる」と志願し、海軍に入った。晴れて水兵になり、初めて乗船したのは軍艦「八重山」。そこで待っていたのは海軍伝統のしごきだった。

 新入りは、食事当番や船内の掃除、先輩の身の回りの世話など多くの作業を任される。その上、夜になると、古参兵らにカシの木で作った「軍人精神注入棒」で尻を強くたたかれた。殺されると思った。尻は腫れ、あおむけで寝られなかった。生命の危険すら感じた。何が海軍の伝統か、何が生死を共にする戦友か、どうして心を一つにして戦えるかと思うようになった。

 食後はすぐに後片付けがあり、お茶や水を飲む時間も与えられない。渇いたのどを潤すため、掃除に使った雑巾をゆすぎ、残った汚れ水を倉庫に隠しておいた。古参兵に見つからないよう、夜にこっそりと飲んで渇きをしのいだ。

 一日も早くこの船を降りたいと思うようになった。そこで、専門技術を持つ特技兵を養成する海軍の学校を受験。「何でもよかった」と、試験日が一番早かった飛行機整備科を受け、飛行機整備術練習生として入校した。

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