プロ野球ヤクルトや米大リーグのレイズなどで活躍した岩村明憲さん(40)は2015年、野球独立リーグのルートインBCリーグで新たに誕生した福島ホープスの監督に就任した。日本に戻り、楽天入りした年に東日本大震災が発生。「野球で復興の後押しをしたい」との強い意識から、選手の育成はもちろん、野球教室や募金の呼び掛けを積極的に行うなど地域貢献活動を重視してきた。
5年目となる今季から、球団経営を立て直すため社長を兼任し、チーム名も「福島レッドホープス」と改めて再出発を図る。輝かしい実績を持つ元大リーガーが、なぜ福島に? 岩村さんにその理由と熱い思いを聞いた。(時事通信社福島支局記者 山本舜也)
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岩村さんは愛媛県宇和島市出身。東北との関わりは11年、米国から日本球界に復帰し、仙台市が本拠地の楽天に入団したことがきっかけだ。3月11日、兵庫県明石市でのオープン戦のさなかに東日本大震災が起きた。被災地の混乱もあり、岩村さんをはじめ選手が地元に戻ってきたのは4月になってからだった。
「(被災者を)激励しようということで、僕らの班は閖上(ゆりあげ)地区に行った。中学校のネットに船が立て掛かっていたり、家の1階部分が半分えぐられていたり。すさまじい自然の破壊力、津波の怖さを感じた」
「体育館に行くと、貴婦人がいらっしゃって『岩村君、サイン書いて』と。クリアファイルを差し出されて、中をパッとみたら、罹災(りさい)証明書が入っているファイルだった。『私はこのファイルを常に持ち歩かなきゃいけないから。だからこそ、あなたからパワーをもらいたい』と言われて。ぐっとくるものがあった」
この経験をして、被災者を野球で勇気づけたいという使命感に駆られたという。しかし、その気持ちがプレッシャーにもなり、楽天に在籍した2年間は不振にあえいだ。
「プレーにおいても、完璧を求め過ぎた部分はすごくある。その2年間はふがいなくて、自分の中では悔しいシーズンだったので、心残りがどうしてもあった」
楽天から再び古巣のヤクルトに戻ったが、14年末に戦力外を通告された。活躍場所を模索する中、岩村さんと同学年で、福島ホープスの設立に携わっていた当時ゼネラルマネジャー(GM)の小野剛さんから監督就任の要請があった。震災や東京電力福島第1原発事故からの復興を後押しするというチーム方針に共感し、選手兼任監督となった。
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