2021年06月23日
浪曲には「お涙頂戴」のイメージがあります。悲しい物語を聴いて涙を流すことで、鬱積していた感情を浄化させて、明日からまたがんばろうという気持ちになってもらう。大衆の芸能として生まれた浪曲にはそんな使命があったように思います。でも今はお涙頂戴だけではありません。新しい笑いを乗せた玉川太福さんの新作浪曲のように、豊かで自由な世界が広がっています。(ライター、編集者 金丸裕子)
浪曲を聴いていると、この人かっこいいと憧れたり、いやぁ面白い人だわと記憶に強く残ったりする登場人物がいます。私にとっての一人は、清水次郎長伝の中の一話、『お民の度胸』に登場する小松村七五郎の女房、お民です。場面は、かくまっている森の石松の追手たちが、今にも家に攻め込んで来ようという崖っぷちの状況。お民を逃そうとする夫の七五郎に対して、「あたしはあんたにほの字、惚れてるんだよ。二人で心中したと思って諦めちゃおうよ」と覚悟を伝え、敵と堂々と渡り合うのです。その色っぽさと度胸に、同性でありながら、うっとりしてしまいます。
私自身が日本酒ファンということもあり、飲みっぷりの良さにひかれるのは『天保水滸伝』の剣豪、平手酒造(ひらてみき)です。飲めば飲むほど剣さばきが鋭さを増し、強くなるという平手は、千葉周作道場で俊英といわれながらも道場を破門され、落ちぶれて、侠客の用心棒となった人物。アウトローとなろうとも、心意気をもった人物像に心を打たれます。
ドカンドカンと笑わせる「地べたの二人シリーズ」
浪曲には、ヒーローにしてもアンチヒーローにしても際立った人物が登場します。主君への忠義を貫く侍や、義のためなら死をいとわない任侠、家族のためにつくす賢女、こんなにも酷い人間がいるのかとぞっとする極悪非道の悪人などなど。彼らがダイナミズムに満ちた話を展開していくのが浪曲――そう思い込んでいたので、玉川太福さんの「地べたの二人 おかず交換」を最初に聞いたときには度肝を抜かれました。物語はこんな節から始まります。
〽ここは神奈川県なら川崎か それとも千葉なら船橋か 港に近いアスファルト 雲ひとつない空の下 同じグレーの作業着で 胸に「日の出電気」と刺繍(ししゅう)がある 刺繍の色はオレンジ色
これを聴いただけで、青空の下に立つ電気工事の作業員の二人が目に浮かんできます。グレーの作業着にオレンジの糸で刺繍された「日の出電気」が見えてきます。細かな描写、言葉選びが秀逸で、どんな物語を聴かせてくれるのか期待が高まると同時に、最初からドカンドカンと笑わせてくれるのです。
主人公の二人は、50代の「サイトウさん」と30代の「カナイくん」です。妻の手作りだろう二段重ねの弁当箱を抱えたサイトウさんが、カナイくんのホットモット系の弁当をのぞき込みます。サイトウさんは、カナイくんの弁当に鎮座するタルタルソースがかかった鶏の唐揚げを食べてみたくてたまらなくなり、おかず交換が始まるのですが……。
歳の離れた上司と部下の間には微妙なズレがあり、意思疎通がうまくできません。それでもコミュニケーションをとろうとして失敗して、とりつくろうことでまた破綻する。それが何とも言えない可笑しみを誘うのです。些細でたわいもない二人の会話が、三味線の糸に導かれ、抑揚の効いた浪曲の歌と啖呵(たんか)で演じられる。そのギャップがまた面白いのです。これは浪曲における『新発見』と言えるでしょう。
「地べたの二人」シリーズは、「おかず交換」をはじめ、「湯船の二人」「道案内」「配線ほどき」「おかずの初日」「脱衣所の二人」などいくつもの話があり、『2015年 第1回渋谷らくご創作大賞』を受賞しました。「渋谷らくご」は、渋谷のユーロスペースで毎月開かれている初心者向けの落語会です。太福さんは毎月渋谷らくごに出演して、浪曲について予備知識を持たない人たちに、浪曲はこんなにも面白いことを伝えています。
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