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ならばオリンピックは不要だろう~私が見た東京五輪(玉木正之)

IOCの主張はスポーツの付随物に過ぎない

玉木正之(スポーツ文化評論家)

 「やっぱりオリンピックは面白いねえ」

 東京五輪の期間中、10人近い人物からそんな電話やメールをもらった。

 確かに面白いシーン、興奮し、激するシーンは数多くあった。卓球の混合ダブルスで日本のペアが中国ペアを破って金メダルを獲得したことも、ソフトボールで接戦をものにして米国に勝って優勝した試合も、女子バスケットボール・チームがベルギーやフランスのチームを撃破して決勝に進んだゲームも、また水泳でも陸上競技でも、野球や新たに五輪競技に加わったスケートボードや、その他の競技でも、思わずテレビの前で大拍手を送りたくなる素晴らしいシーンが山ほどあった。が、「オリンピックは面白い」と言った人物に対して、私はその都度言い返した。

 「間違っちゃいけない。オリンピックが面白いんじゃない。スポーツが面白いんだ」

 オリンピックは4年に1度の「特別に大きなスポーツ・イベント」だけに、出場選手たちの気持ちも高揚し、素晴らしいパフォーマンスとなって現れたシーンもあっただろう。しかしオリンピックという特別な重圧から、明らかに日頃の実力が出し切れなかった選手もいれば、凡戦に終始した試合もあった。それはワールドカップや世界選手権といったイベントで見られるスポーツのパフォーマンスと、根本的に異なるものではないはずだ。

 ところがオリンピック(IOC=国際オリンピック委員会)は、自ら他のスポーツ大会とは異なる独自の「特別な主張」を発信する。それは「世界平和のための祭典」であり「人類の祭典」であり「世紀の祭典」だというのだ。

 ◆オリンピックの意義を考えてみて

 今回の第32回オリンピック東京大会が、新型コロナの世界的感染拡大(パンデミック)で、開催すべきか否か、その是非が問われたときから、私は「オリンピックの意義」を考え続けた。そして、それらオリンピック(IOC)の「特別な主張」は、スポーツの本質ではなく、スポーツの周辺にまつわり付いた「属性(付随物)」に過ぎず、スポーツを利用した巨大イベントをより価値のある物に見せるための方便(幻想)に過ぎない、という結論に達したのだった。

 オリンピックの開催都市とその組織委員会は毎回、国際連合に対して「オリンピックとパラリンピック期間中の休戦決議」の採択を求める。今回の東京大会でも国連は総会でその決議を採択した。が、そのことは大きく報道されることもなく、知らない人も多い。

 おまけに過去のオリンピック大会を振り返るなら、第一次世界大戦のため大会の開催が中止されたのをはじめ、ヒトラー率いるナチス・ドイツのプロパガンダに大会が利用されたり、第二次大戦で2度の大会中止が生じたり、さらに五輪開催のため反政府デモに参加した国民の大量殺害事件が起きたり(メキシコ大会)、過激派集団による選手村襲撃事件が起きたり(ミュンヘン大会)、冷戦時代には2度の政治的ボイコット合戦もあり(モスクワ大会、ロサンゼルス大会)、爆弾テロにも見舞われた(アトランタ大会)等々、そこにオリンピックが世界平和に貢献してきたという事実を見つけ出すことはできない。

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