2023年05月13日17時00分
歴代最長の7年8カ月に及ぶ政権を担当した安倍晋三元首相が、奈良市での街頭演説中、銃撃され、亡くなったのは2022年7月8日のことだった。
信じられなかった。戦前の要人テロの時代でもあるまいに、と思った。
◆野田氏の追悼演説に感動
私は、当然のことながらご本人にはお会いしたことはない。しかし、全くの同年齢であることから、その言動には絶えず関心を持っていた。
私たち1955年前後(私や安倍氏は1954年)生まれは、前世代の団塊の世代と違い、本人が同意するかどうかは別にして「無気力・無関心・無責任」の三無主義の「しらけ世代」といわれていた。
確かに大荒れに荒れた学生運動には遅れてきた世代で、世の中を斜めに見ているといわれている。
しかし同世代の安倍氏は、非常に主張がはっきりしていた。保守的といわれる言動のために安倍シンパとアンチ安倍に、はっきりと分かれていた。私も「森友・加計問題」などの報道などから、どちらかというとアンチ安倍だった。
しかし、22年10月25日第210回衆院本会議における野田佳彦元首相の追悼演説には感動し、涙無くして聞けなかった。録画した演説を何度も聞き直したほどだった。野田氏も1957年生まれで、安倍氏とほぼ同世代である。
◆安倍晋三の「陳述書」
野田氏が演説の中で「安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした『問い』だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています」と語った。
まさに、この語り掛け通り、私の心の中にも「問い」が残ったままである。その「問い」に答えが見つかるかもしれないと考え「安倍晋三 回顧録」(中央公論新社刊)を読んだ。
聞き手の方は、安倍氏と親しいジャーナリストだが、「いわゆる『御用聞き質問』」は一切ない。安倍氏が答えづらいと思われる質問を遠慮なく投げ掛け、それに対して安倍氏も誠実に、真剣に答えている。ジャーナリストと政治家の真剣勝負である。
それは、野田氏が追悼演説で「あなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命です」と語ったように、本書は「歴史の法廷に提出する安倍晋三の『陳述書』」なのだ。
あっという間に付箋でいっぱいになった。
読みどころを紹介したい。
【第1章 コロナ蔓延】
新型コロナ対応への迷走が辞任の引き金になった感があるが、抗ウイルス薬「アビガン」の承認に関してドイツのメルケル首相や北朝鮮までもが「送ってほしい」と言ってきた。ところが、薬務課長の反対で日本では治療薬として承認されなかった。
「厚労省内もバラバラなんです」と官僚批判。そして病床確保については「病床を増やそうとせず」と批判。官僚の壁や医師会の壁については、これからも課題だろう。一斉休校は「政治家がリスクを取るしかない」。
五輪延期については主催者東京都の小池百合子知事は判断せず「首相がやるのが当然」。批判の多かったアベノマスクについては「政策としては全く間違っていなかった」と自信。コロナ禍という未曽有の事態に対して、都度、判断を迫られる中で、全て完璧というわけにはいかない。
【第2章 総理大臣へ!】
わずか1年で退陣した第1次から復活して第2次政権獲得の裏話。
「今思えば、戦後レジームの脱却に力が入りすぎていた」と反省し、「お友達内閣」への批判には「誰が友達なの?」と反論し「良い友達なのか、悪い友達なのか」と答える。
中曽根康弘元首相からは「首相は弱気になってはダメだ」「常に間違ってないんだという信念でいけ」と励まされたが、参院選で惨敗し石破茂氏などから辞任を迫られた。それに対して「日本の首相は野党ではなく、党内抗争で倒されるのです」と言い、「精神的に苦しかった」。
首相は党内抗争で倒されるとは、私たちの知らない世界であり、この時の石破氏の態度はきっと許せなかったことだろう。
復活へは菅義偉元首相の「安倍さんが勝てると考えている」との、安倍氏の自宅に来てまでの説得。そして清和政策研究会内での町村信孝氏との調整の話は興味深い。町村氏は「君にはまだ先があるよね」と自重を促すのだが…。
「運は、自分で手放してしまう」という安倍氏の述懐が心に響くのは、私だけではないだろう。
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