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金与正氏とはどんな人物か【礒﨑敦仁のコリア・ウオッチング】

2021年12月13日

肩書を超越した「白頭血統」のプリンセス

 2018年6月12日、史上初の米朝首脳会談がシンガポールで開催された。この日はちょうど授業がない曜日だったため、私も弾丸で現地に赴いた。運よく金正恩国務委員長が宿泊したセントレジスホテルに1泊することができたが、平壌から来た一行は20階を借り切っており、11階の私は近づくことすらできなかった。

〔写真特集〕金正恩氏の妹、金与正氏

 目視できるチャンスは、彼らが外出する時だけである。ホテルのロビーは各国から駆け付けたメディア関係者であふれており、私もじっとその時を待った。やがて妹の金与正(キム・ヨジョン)氏に先導される形で、北朝鮮の最高指導者がエレベーターから降りてきた。護衛司令部のボディガードとシンガポール当局の厳重な警備に守られながら、彼らは用意された車へ乗り込んで行った。

 わずかな時間ではあったが、きびきびとした動作の金与正氏は一行の中でも特に強い印象を残した。シンガポールやハノイへの外遊では兄に随行し、文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領との南北首脳会談にも同席した金与正氏とは一体、どのような人物なのだろうか。

スイス帰り、父の葬儀で初登場

 その存在が知られるようになったきっかけは、藤本健二氏の著書『金正日の料理人』(扶桑社、2003年)であった。それによれば金与正氏は、父の金正日氏と大阪出身の元在日朝鮮人である高勇姫(コ・ヨンヒ)夫人との間に、1988年9月26日に生まれた(生年については87年説もある)。長男の正哲(ジョンチョル)氏、次男の正恩氏という2人の兄を持つ、3人きょうだいの末っ子。暗殺された正男(ジョンナム)氏は異母兄に当たる。

 2人の兄と同じく幼少時代をスイスで過ごし、ベルンの公立小学校に学んだ。「北朝鮮大使館員の子供」として、3人は一緒に住みながら学校に通っていたという。帰国後はエリート養成機関である金日成総合大学を卒業したとされる。公の場に姿を現したのは、ちょうど10年前。2011年12月に死去した父・金正日氏の葬儀で、正恩氏に付き従うように立つ若い女性の姿が注目された。

 その後、14年3月には『労働新聞』上で、正恩氏に同行した「党中央委員会の責任幹部」として氏名が出るようになり、同年11月になると党中央委員会の「副部長」に就任していることが判明した。

 16年5月、36年ぶりに開催された第7回党大会で、指導部である中央委員129人のうちの1人に選ばれ、同年6月開催の最高人民会議(立法府)では代議員に就いていることも確認された。

 17年10月に中央委員より1ランク高い政治局員候補、18年2月には中央委員会「第一副部長」の地位にあることが判明。順調に出世の階段を駆け上がった印象だが、伝えられるのはいつも肩書だけで、彼女が党中央委員会のどの部署に所属しているのかは、長らく明らかにされてこなかった。

 今年1月、現在のポジションが党中央委員会「宣伝扇動部」の副部長であることが公表された。宣伝扇動部とは、国内外に向けて体制宣伝を担う部署であり、新聞やテレビなどのメディアを統制し、国民向けの思想教育も行っている。

 この人事が公表された際、金与正氏が30名ほどで構成する党政治局のメンバーから外れたことも明らかになり、日本や韓国のメディアでさまざまな観測が流れた。実態は「降格」ではなく、昨年から頻繁に開催されるようになった政治局会議から解放するための策、負担の軽減ではないかとみられる。

 そもそも彼女は金日成主席と金正日国防委員長の血を継ぐ「白頭の血統」であり、体制内の肩書は大きな意味を持たない。最高指導者である金正恩委員長の妹であることこそが権力の源泉であり、南北首脳会談に同席していることだけでも分かるように、その動静報道や立ち振る舞いから、他の幹部とは全く異なる扱いであることは間違いない。

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