2021年11月08日
日本人拉致問題が停滞して久しい。拉致問題だけではない。戦後の混乱で帰国を果たせなかった残留日本人、さらには冷戦期に在⽇朝鮮⼈の配偶者とともに北朝鮮に渡っていった⽇本⼈妻(⼀部は⽇本⼈夫)の問題は話題にさえならない。多くの同胞が今も北朝鮮に住んでいるというのに、その事実を⽇本⼈は忘れてはしないか。
対北朝鮮外交は政権与党、さらに⾔えば総理の専権事項となっており、拉致被害者家族は⻑きにわたって歴代総理にすがるしかなかった。
しかし、全ての被害者を奪還すると何度も豪語した安倍晋三元総理は、⼀⼈の帰国も実現できなかった。第1次政権を含め通算8年を超える在任期間があったにもかかわらず、⾦正恩国務委員⻑(朝鮮労働党総書記)との⾸脳会談すら⼀度も開催していない。安倍元総理⾃⾝が述べたように、政治は結果が全てである。
その意味で、⼩泉純⼀郎元総理の対北朝鮮外交は対照的であった。全ての拉致被害者を奪還できなかったものの、2002年9⽉の⽇朝⾸脳会談で「拉致は⽇本政府のでっち上げ」との主張を覆して⾦正⽇国防委員⻑を謝罪に追い込み、5⼈の拉致被害者とその家族を取り戻したことは⽇本外交の勝利であった。北朝鮮と向き合った結果である。
今、筆者が懸念するのは、「北朝鮮は放置しておけばよい」「極貧の⾦正恩政権は、兵糧攻めをすれば⽇本に頭を下げてくるに違いない」という主張がいまだに根強いことだ。はなはだしきに⾄っては、「北朝鮮は間もなく崩壊する」との希望的観測も。
来⽉のクリスマスでソ連が崩壊してちょうど30年が経つ。冷戦が終結したその頃から北朝鮮崩壊論がまことしやかに唱えられたが、北朝鮮はどんなに経済が疲弊しても盤⽯な政治体制を維持してきた。⾦正恩委員⻑がトップに⽴ってからも12⽉でちょうど10年である。外野が⾒くびっている間に、北朝鮮は「核保有国」となり、アメリカも直接の交渉相⼿として認めざるを得なくなった。
⼩泉訪朝から20年の間に中韓両国は経済成⻑を続け、⽇本の経済⼒は相対的に落ちてしまった。国交正常化を実現すれば莫大な「正常化資金」を獲得できるという潜在的魅力はあるものの、今の北朝鮮からすれば、懸案事項⼭積みの⽇本に秋波を送らなくとも中韓が⽀援をしてくれるし、⽇本を通じなくともアメリカ政府と直接やりとりができる。これら内外環境の変化をわれわれは直視しなくてはならない。
日本に対する北朝鮮の関心度を測るバロメーターとなるのが「談話」である。今年、北朝鮮はわが国を非難する「談話」を何度も発表したが、発信者のレベルは「外務省⽇本研究所研究員」や「朝鮮オリンピック委員会代弁⼈」などにとどまっている。対⽇非難がどんなに⼝汚い表現で展開されても、⾦与正・朝鮮労働党宣伝扇動部副部⻑や⾦英哲・党統⼀戦線部⻑ら⾼位級幹部が⽇本政府を非難していない限り、⽶韓両国に⽐べて北朝鮮の⽇本に対する関⼼は低いと⾔わざるを得ない。
⾦正恩委員⻑は演説の中で何度も⽶韓両国を非難しているが、実はわが国政府に対して⾔及したことは⼀度もない。筆者とて認めたくはないが、今の⽇本は北朝鮮にほとんど相⼿にされていないのだ。一日も早く、北朝鮮問題の主要なプレーヤーに戻るべきであろう。
【著者紹介】
礒﨑 敦仁(いそざき・あつひと)
慶應義塾大学教授(北朝鮮政治)
1975年生まれ。慶應義塾大学商学部中退。韓国・ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員(北朝鮮担当)、外務省第三国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、米国・ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員を歴任。著書に「北朝鮮と観光」、共著に「新版北朝鮮入門」など。
(2021年11月8日掲載)
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