「金正恩Tシャツ」の衝撃 神格否定「生身」の指導者演出か
【礒﨑敦仁のコリア・ウオッチング】

2021年11月04日

脱神格化の一方で

 海外経験がほとんどない父親とは違い、現指導者は中高生時代に4年間ほどスイスで留学生活を送ったことも忘れてはならない。

 今から10年前、27歳にして一国家を引き継いだ金正恩氏は元帰国子女であるが、その髪形や服装からそれを感じさせることはない。自らは資本主義社会を知っているばかりか、外国語を操ってインターネットも使用できる立場にある。国外の状況を知り、外国が自国をどう見ているかを知っているからこそ、自国を統治するために「指導者としてどうあるべきか」を考え続けているのではないだろうか。その結果、少なくとも現段階では、親しみのある指導者像を思い描いているように映る。

 「首領の革命活動と風貌を神秘化すれば真実を隠すことになる」――ハノイでの米朝首脳会談が事実上決裂に終わった直後の2019年3月、金正恩氏はこう述べ、自らの神格化にブレーキをかけた。実際のところ、いまだに金正恩氏の肖像画やバッジは一般的に流布されていない。生年や誕生した場所すら明らかにされていない。先代の金正日氏の肖像画は1980年代から一般家庭や事業所に掲示されることが求められ、誕生日が祝日化されていたのとは対照的だ。

 初代指導者の金日成氏も、神格化が大きく進んだのは1960年代以降のことである。逆に言えば、それ以前の彼は「崇拝」の対象ではなく、やはり「卓越」していたかもしれないが人間であった。今の金正恩氏は、その頃の祖父の姿に重なって見える。

 その一方で、党機関紙『労働新聞』は今年に入ってから、金正恩氏を祖父や父と同様に「首領」と呼び始めた。特に5月以降はその傾向が顕著である。例えば5月31日付1面に掲載された論説には、「卓越した首領であられ稀世の政治家であられる敬愛する金正恩同志」という表現が見られた。神格化に歯止めをかけつつ、同時並行的に金正恩氏についての「偉大性教養」学習が進められているのだ。一見して矛盾するような動きであるが、その背景を探るのは難しい。

 新型コロナウイルスの流行を受け、防疫のため中朝国境が閉ざされて久しい。北朝鮮と往来する人士は絶え、最新の内部事情を探る機会だった脱北者インタビューもままならない。昨年から北朝鮮内政は大きく動いているのだが、その内情を知るにはいつも以上にタイムラグが生じている。専門家として「わからない」と述べざるを得ない現状が、今はただもどかしくてならない。

【著者紹介】

礒﨑 敦仁(いそざき・あつひと)

慶應義塾大学教授(北朝鮮政治)

1975年生まれ。慶應義塾大学商学部中退。韓国・ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員(北朝鮮担当)、外務省第三国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、米国・ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員を歴任。著書に「北朝鮮と観光」、共著に「新版北朝鮮入門」など。

(2021年11月4日掲載)

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