2021年11月11日10時00分
結局のところ、それは「楽しさ」や「わかりやすさ」にほかならない。先にも述べたように、下品な笑いの基本構造は「日常からの逸脱」の楽しさだ。高度な知識や技術を必要とせず、誰にとっても分かりやすい。この「楽しさ」や「分かりやすさ」が、恐らく子どもにとって「親しみ」を生み、「安心感」を与えるのだろう。子どもはその笑いに身を委ねるとき、現実の常識的なとらわれから一時解放される。「親しみ」や「安心感」があることで、現実の困難な世界にも入っていきやすくなるのだ。
「うんこ」「おしり」「おなら」などの言葉を何の脈絡もなく口にすることは、まったく無意味で無価値で低俗で役に立たないことかもしれない。しかし、そんな役に立たないことでも、何だか親しみがあるし、安心感があるし、分かりやすいし、楽しい気持ちにさせてくれる。それは子どもたちに「役に立つことがすべてではない」「存在しているだけで意味があるし、価値がある」と伝えてくれているようではないか。
下品な笑いを楽しむ子どもの姿は、大人にとって煩わしく厄介なものとして映るかもしれないが、子どもがそれによって「生きた心地」を味わっているのだと考えれば、温かく見守ってやりたくもなるのではないか。
富田昌平(とみた・しょうへい) 三重大教育学部教授。博士(学校教育学)。乳幼児心理学や保育学が専門で、子どもの想像力とファンタジーの発達や、子どもの遊びと指導・援助に関する研究に力を入れている。日本発達心理学会や日本保育学会、 日本乳幼児教育学会などに所属。 著書に『幼児期における空想世界に対する認識の発達』(風間書房)など。
(2021年11月11日掲載)
参考文献
富田昌平・藤野和也「幼児の下品な笑いの発達」「三重大学教育学部研究紀要(教育科学)」,第67巻,161–167頁,2016年
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