2021年11月08日
衆院選に勝利した岸田文雄首相は、小選挙区で落選し辞任を申し出た自民党の甘利明前幹事長の後任に茂木敏充前外相(66)を起用した。永田町や霞が関での茂木評をまとめると、実務能力や状況判断、先読みに優れた「切れ者」の半面、周囲に厳しく怒りっぽい面もある。「ポスト岸田」を目指すには、中堅、若手議員や官僚との距離を縮めて「茂木ファン」を増やし、ソフトで「切れる」政治家となることが課題のようだ。(時事通信解説委員長 高橋正光)
茂木氏は東大卒業後、丸紅、読売新聞政治部記者、米ハーバード大大学院、マッキンゼー社コンサルタントを経て、1993年の衆院選で旧栃木2区から細川護熙氏が結成した日本新党公認で初当選し、当選10回。同党の当選同期には、立憲民主党の枝野幸男代表、国民民主党の前原誠司元外相らがいる。
自民党で茂木氏の能力を買い、最初に目をかけたのは、菅義偉前首相の「政治の師」である梶山静六元官房長官。梶山氏は、栃木県連としっくりいっていない茂木氏のため、地元に赴き、組織固めの会合に出席している。梶山氏が長官在任中、茂木氏以外で激励に行ったのは、菅氏や平沢勝栄前復興相くらいだ。また、茂木氏は、梶山氏が夏休みを利用して親しい議員と開催した北海道ゴルフツアーにも参加している。
しかし、98年の総裁選で梶山氏が旧小渕派を離脱し、小渕恵三元首相と対決すると、同派の方針に沿って小渕氏を支持。梶山氏や同氏を支持した菅氏と、たもとを分かった。茂木氏は小渕政権下、官房長官を務めた野中広務氏の薫陶を受け、第2次小泉内閣では当選3回ながら沖縄・北方担当相で初入閣。福田改造内閣では金融担当相で再入閣を果たした。
◇菅氏が進言、「負け組」で経産相
もっとも、茂木氏が、実力者として認知されるようになったのは、2012年12月に第2次安倍政権が発足してからだ。同年9月の総裁選で安倍晋三元首相は決選投票の末、石破茂元幹事長らを破り総裁に返り咲いたが、この時、茂木氏は石原伸晃元幹事長を支持した「負け組」。本来なら、当分は「冷や飯」を強いられるところだが、安倍政権でいきなり経済産業相に就任した。
組閣に当たり、官房長官に内定していた菅氏が「仕事ができる」と要職での起用を安倍氏に進言した結果とされる。以降、選対委員長、政調会長、経済再生相、外相を歴任。安倍政権で内閣、党の要職に起用され続けたのは、いずれのポストでも成果を残し、安倍氏に評価されたから。菅政権、岸田政権でも外相を続投。甘利氏の辞任に伴い、党ナンバー2の幹事長となった。
この間、茂木氏は所属する旧竹下派で会長代行にも就任。安倍、石破両氏の一騎打ちとなった18年の総裁選では、引退後も同派に影響力を残す青木幹雄元参院議員会長の意向で、参院側の多くや衆院の一部が石破氏を支持したのに対し、茂木氏は安倍氏を支持。これも含めた一連の経緯から、安倍氏、菅氏、麻生太郎副総裁ら重鎮との関係が良好なのも強みだ。岸田首相が茂木氏を幹事長に据えたのは、総裁選で支持を得た同派に人事で配慮し、政権の安定化を図る狙いがあるのは間違いない。茂木氏は、岸田政権と距離を置く菅氏とのパイプ役も担うことになろう。
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