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国策映画を作った父の足跡を追うドキュメンタリー 伊勢監督に聞く

「文化戦線」の一員として

 ドキュメンタリー映画監督の伊勢真一さんが最新作「いまはむかし 父・ジャワ・幻のフィルム」を完成させ、各地で自主上映が行われている。亡父が戦時中、インドネシアで国策映画を作っていた足跡を資料と現地取材でたどり、日本がアジアでしたこと、結果的に加担した父の葛藤を思い、そこに親子関係を重ね合わせた。長いためらいの末に完成させた作品に込めたものは-。

 映像はジャカルタの狭い路地から始まる。伊勢さんから、覚えている日本語を尋ねられた白髪の男性が答えた。「『バッキャロー、ナンダオマエ』。(日本人は)怒るとすぐ手も足も出たね」

 朽ちかけたような建物が残っていた。日本軍が組織した宣伝班「文化戦線」の映画製作を担った「日本映画社ジャカルタ製作所」の跡。ここで130本余の国策映画が製作された。草むらに汚れた映画のフィルムを見つけて拾い上げ、日に透かして見る伊勢さん。

 父・長之助さんは、産業映画を中心に数多くの記録映画を手掛けた映画編集者だった。戦時中、「文化戦線」の一員としてインドネシアへ送られて3年半、国策映画に携わる。帰国後も「東京裁判-世紀の判決」「日本万国博」などの作品を作り、73年に60歳で亡くなった。

 遺作は「森と人の対話」(72年)。製紙会社が奥深い森林から木材を調達する取り組みを記録した。当時は自然破壊の一例として見た人もいるだろうが、完成度の高い映像に残っているのは、1本ずつ測定・選別した上で切り倒して運び下ろし、間伐して山の「力」も守る丹念な営み。手入れされず放置された山が各所で災害をもたらす今日、別の視点を与えてくれる。

◇オランダに残っていたフィルム

 伊勢さんは「父がインドネシアにいて、そこでしていたことは何となく分かっていたが、直接聞いたことはなかった」という。長之助さんも語らなかった。安保闘争にベトナム戦争。語れる時代でもなかった。伊勢さんには、3歳の時に家を出て母と離婚した父への反発があり、親子関係も決して近くなかった。

 少しずつ取材を始めたのは、30年ほど前。当時のフィルムが、終戦後に再びアジア支配を図ったオランダに接収され、今も保管されていることが分かったのがきっかけだった。

 作中で一部が紹介される。「日本軍ジャワ上陸」「防衛義勇軍の歌」、日本の住民支配の仕組みを持ち込もうとした「隣組」、鉄道建設などに必要な労働力を調達するための「ロームシャ(労務者)」…。完成度が高く、それだけ宣伝効果は大きかった。子どもの時に「ロームシャ」を見た男性は「素晴らしいと思った。すごいなと。労務者は出発の時はすごく威勢が良かった。でも、戻ってきたら病気になっていたり帰って来れなかったり」と語る。

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