同志社大学大学院ビジネス研究科教授 浜矩子
矢野康治財務事務次官が月刊誌「文芸春秋」2021年11月号に寄稿した。タイトルは「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」だ。現役のトップ財務官僚が、総選挙目前のタイミングで「ご政道批判」の声を上げたのである。世の中が大いに騒いだ。そして、政府・与党が大いに慌てた。不快感をあらわにしたり、「個人的見解だ」と火消しに躍起になったり。野党側では、さほどの狼狽(ろうばい)は表面化していないようだ。だが、寄稿の中では、与野党挙げての「バラマキ合戦のような政策論」が批判されているのであるから、内心穏やかではないだろう。
寄稿の内容はいたって正攻法だ。淡々と状況を説明し、情報を提供している。いかにも、善良なるお役人らしい論考だ。このような文章を寄稿するのに、「やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない」という決意を要する。ここに、今の日本の政治状況の問題がある。そう強く感じた。真剣な論議なきトップダウン。この方式が定着してしまう中で、良識と良心ある者たちが沈黙する。矢野氏も、本当はもっと激しい筆致で思いの丈を吐露したかったかもしれない。
有事に弱者を救済するために
それはそれとして、日本の目下の財政状況をどうみるか。今は均衡財政や財政再建にこだわっている時ではないのか。財政節度を重視し、「基礎的財政収支にこだわり、困っている人を助けないのはばかげた話」(高市早苗自民党政調会長)なのか。
困っている人を助けないのは確かにばかげた話だ。ばかげた話というよりは、けしからん話だ。弱者救済は経済政策の究極の使命だ。高市氏が言う「(財政資金を)必要な時に使わなくてどうするのか」も誠にごもっともである。
だが、困っている人を困っている時に助けるためにこそ、財政はそれができるためのゆとりを用意しておかなければいけない。必要な時に使えるためにこそ、平素から使える資金を準備しておかなければならないのである。無い袖は振れない。政府も日銀も、カネを振り出す打ち出の小づちを持っているわけではないのである。
もっとも、安倍元首相は打ち出の小づちの存在を信じ切っているようだ。何しろ、彼は矢野寄稿に関して「あれは間違った見解だよ。(日本国債は)自国通貨建てなんだからデフォルト(償還不能)はない。ああいう形で発表するのは非常識」だと言ったと報じられている(毎日新聞2021年10月18日付朝刊「風知草」)。日銀がいくらでもお札を振り出してくれると考えているらしい。この発想こそ、国家破綻に道をつけてしまう元凶だ。筆者はそう確信するし、間違いなく、矢野氏も同じことを考えていると言っていいだろう。
矢野寄稿に次のくだりがある。「…これまでリーマン・ショック、東日本大震災、コロナ禍と十数年に二度も三度も大きな国難に見舞われたのですから、『平時は黒字にして、有事に備える』という良識と危機意識を国民全体が共有する必要があり、歳出・歳入両面の構造的な改革が不可欠です」。ここに出てくる「平時は黒字にして、有事に備える」が勘所だ。有事に弱者を救済し、有事にカネを使うためにこそ、平時に余裕を積み上げておかなくてはいけない。財政運営からこの認識が欠落すると、国家は間違いなく破綻する。そのような国家は破綻に値する。だが、国家が破綻すれば、人々が不幸になる。だから、我々は国家をこうした愚論・愚行から守ってやらなければいけない。
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