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京都に新選組の足跡をたどる 映画「燃えよ剣」の撮影地も

 映画「燃えよ剣」(原田眞人監督)は、作家・司馬遼太郎の代表作の一つである歴史小説を原作に、幕末の激動の時代を駆け抜けた新選組隊士らの生きざまを副長・土方歳三(主演・岡田准一)の視点から描く。彼らがその名を歴史に刻んだ街は、言わずと知れた京都。ゆかりの場所を歩いた。

◆映画「燃えよ剣」特設ページ◆

今も残る屯所

 江戸近郊に生まれ、その暴れん坊ぶりから「石田村のバラガキ」と呼ばれた土方は、天然理心流の道場「試衛館」の仲間である近藤勇、沖田総司らとともに将軍警護の名目で集められた浪士組の一員として上洛する。洛西の壬生村(現在の京都市中京区)に集まった彼ら「壬生浪士組」は1863年月、京都守護職の会津藩主・松平容保から市中警護の役を任じられる。

 彼らが滞在した壬生には、屯所だった「八木邸」と「旧前川邸」がほぼ当時の姿のまま残されている。京福電鉄(嵐電)四条大宮駅や阪急京都線の大宮駅に近く、現在は家屋が立て込んでいるが、当時は周囲に田が広がるのどかな農村だったという。

 「八木邸」は、かつて村の行事役も務めた旧家で、現在は和菓子店「京都鶴屋 鶴寿庵」を経営する八木家によって守られてきた。ガイド付きで公開されている主屋は、近藤らと主導権を争っていた水戸派の芹沢鴨が、土方らによって暗殺された場所だ。社長の八木勢一郎さんは「6部屋あり、芹沢はここで寝とりました。近藤たちは離れを使っていたようです」と話す。

 壬生浪士組に「新選組」という隊名が与えられたとされる時期と相前後する1863年10月、泥酔して遊女とともに八木邸で寝ていた芹沢ら水戸派の浪士たちを深夜、土方や沖田ら試衛館派が急襲する。事件は長州藩士の仕業とされ、この後、新選組は近藤と土方が率いていくことになる。芹沢が殺された奥座敷の庭に面した縁側のかもいには、当時の深い刀傷が残っていた。

 近藤らが滞在したという離れの場所は、現在は和菓子店の店舗となっており、新選組にちなんだ商品が販売されている。その名もずばり「屯所餅」はここでしか買えない品で、中に壬生菜が入っていて独特の味わいだ。1番人気は宇治抹茶をたっぷり使った和風サブレ「京ちゃふれ」。新選組のだんだら羽織をイメージした3枚入りのパッケージには、隊士の誰かの家紋が入ったコースターが入っている。

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