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新選組の武術「天然理心流」 今も残る土方歳三の技とは

意外に遅い土方の入門

 始祖以降、天然理心流がどう伝承したのか、はっきりしない部分もあるが、内蔵之助が頻繁に出稽古をしたことが功を奏し、多摩地区に多くの弟子が育ったようだ。3代目・近藤周助、4代目で後に新選組を率いる近藤勇はともに多摩の出身(周助は現在の東京都町田市、勇は同調布市が生家)で、剣術ブームが盛り上がった安政年間(1854~60年)には、天然理心流の門弟は1000人近い規模にまで拡大したとの見方もある。

 なお、土方歳三が天然理心流に入門したのは安政6(1859)年3月で、満年齢で23歳の時だった。土方の入門時点で7歳下とされる沖田総司(沖田の正確な生年は不明)は既に門人だったから、意外に遅い入門と言える。もっとも、土方も多摩の出身なので(生家は現在の日野市)、正式に入門する前から天然理心流の稽古を受けていた可能性はある。

 近藤勇は文久3(1863)年、門弟を伴って京都に上り、将軍・徳川家茂の警護をする浪士組に参加。これが後に新選組に発展し、幕末の戦乱を駆け抜けるが、近藤は慶応4(1868)年、土方は明治2(1869)年に北海道・函館の五稜郭で死亡し、いずれも天然理心流を後世に伝えることはできなかった。

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