2021年10月19日12時00分
その書店の存在を初めて知ったのは、ある深夜番組がきっかけだった。
私は北朝鮮研究者であるが、もともとは韓国の歌謡曲に強い関心を抱いていた。K-Popなる言葉が出てくるよりもずっと前のことである。中学1年の時、韓国民放MBCの人気歌番組「土曜日! 土曜日は楽しい」をフジテレビが再構成して週に1回、「Seoul Soul」という番組名で深夜放送していた。1988年のソウル五輪を前に企画されたものだ。
偶然その番組を見た私は、言葉もよく分からぬまま韓国歌謡オタクとなったが、インターネットがない当時、同好の士とつながることはなく、どこまでも孤独な趣味であった。しかし、その番組で紹介された専門書店の存在が、私の興味を長続きさせてくれた。当時、東京の京橋にあった「韓国書籍販売センター 三中堂」である。
12歳の私は、なけなしの小遣いを手に自転車をこいで頻繁に通うことになった。店内には韓国書籍はもちろんのこと、韓国のレコードやカセットテープ、映画やテレビ番組を録画したビデオテープがぎっしりと並んでおり、そのコレクションを眺めるのは至福の時であった。
家賃高騰、ネット台頭に苦戦
三中堂の店主は佐古忠八さん(73)。1987年に初めてお目にかかった時から34年間にわたって細く長くお付き合いさせていただいている。1973年に日本初の韓国書籍専門書店として京橋にオープンしたが、バブル時代の家賃高ゆえ1990年に京橋から阿佐ケ谷に、その後2000年に神保町に移転した。
私自身は、京橋に店舗があった頃には足しげく通ったものだが、阿佐ケ谷、神保町となるにつれ、特に職に就いてからは随分と足が遠のいていた。韓国の本やCDは現地の書店かインターネットを通じて買えるようになったためだ。やはり客離れは深刻だったようで、佐古さんは2014年に神保町を後にし、紆余(うよ)曲折のうえ千葉県佐倉で商売を再開して現在に至る。
三中堂は、韓国の出版物のみならず、朝鮮半島に関する和書をかき集めて販売してきた。大型書店やネット書店でどうしても見つけられない和書があっても、ダメ元で三中堂を訪ねてみると在庫があったことは数えきれない。
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