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サラリーマンの定年、フリーランスから見ると 「45歳定年」を考える(中)

作家・ジャーナリスト 青沼陽一郎

 ネット上で大きな議論となったサラリーマンの「45歳定年制」問題。企業組織に所属していないフリーランスの立場からはどう見えるのか、作家でジャーナリストの青沼陽一郎氏に寄稿をお願いした。

「定年選択制」を提案 おじさんだって一人一人違う!! 「45歳定年」を考える(上)

働かないおじさんとこき使われる若者

 45歳定年制。サントリーホールディングスの新浪剛史社長が副代表幹事を務める経済同友会の夏季セミナーで導入を提言して1カ月になるが、いまだに物議を醸している。新浪氏は政府の経済財政諮問会議の民間議員でもあった。政府は、社会保障の支え手拡大の観点から、企業に定年の引き上げを求め、現行の高年齢者雇用安定法は60歳未満の定年を禁じ、65歳までは就業機会を確保することを企業に義務づけている。今年4月からは70歳までの確保を「努力義務」としたばかりだ。どうしてこんな発言になったのか。

 この発言をめぐる議論は、明らかに労使の立場の違いから発言や解説の趣旨を異にし、平行線をたどっている。企業に所属しない私の立場からすればどっちもどっちなのだが、フリーランスとしてあえていえば、45歳定年制には賛成である。その理由の前に、まずは話を整理する。

 新浪氏の発言は、明らかに経営者の立場から導かれたものだ。新浪氏はオンラインで開催されたセミナーで、ウィズコロナの時代に必要な経済・社会の変革について言及。まずアベノミクスについて「最低賃金の引き上げを中心に賃上げに取り組んだが、結果として企業の新陳代謝や労働移動が進まず、低成長に甘んじることになった」とした上で、「日本企業はもっと貪欲にならないといけない」「45歳定年制を敷いて会社に頼らない姿勢が必要だ」と述べたとされる。

 その直後の記者会見では「(定年を)45歳にすれば、30代、20代がみんな勉強するようになり、自分の人生を自分で考えるようになる」と従業員の意識改革につながると強調。翌日の記者会見では、「首切りをするということでは全くない」「45歳は(人生の)節目」であって、「スタートアップ(への転職)とか、社会がいろいろな選択肢を提供できる仕組みが必要だ。場合によっては出戻りがあってもいい」と説明している。

 ここからうかがい知れるのは、まさにその言葉の裏返しで、「30代、20代で勉強しない」「45歳を過ぎても会社に頼っているやつがいる」ことで、企業の新陳代謝や成長が止まっているということになる。

 いうなれば「働かないおじさん」が企業に巣くって高給を頂戴していることを言いたいのだろう。働かない、とまでは言わないまでも、企業組織がつくり上げたシステムの中にはまって、するべきことを右から左へ受け流す。従来の因習に従ったマニュアル通りならば責任を問われることもなく、給料だけは上がっていく。競争意識もないから、気概も創意工夫もなければ、成長もない。経営者からすれば、人件費だけがかさんで売り上げに反映しない。企業競争力も落ちて、組織そのものが疲弊していく。その事象を評して「大企業病」とも呼ばれる。私に言わせれば、生産性が上がらなくても、仕事のできる者に賄ってもらえるというのなら、かつての中国の人民公社と同じだ。働いても働かなくても収入が一緒なら労働意欲は喪失し、ますます生産性は落ち込む。今の中国に人民公社は残っていない。

 だが、企業に就職した側からすれば、違った見立てができる。学校を出て入社すれば、仕事を覚えるところから始まる。海のものとも山のものともつかなければ、使えるかどうかも、適材適所も分からない。だから、最初は安い給料から始まって、若いというだけでこき使われる。それも勤続年数に応じて仕事も覚え、給料も上がって当初の見返りが保証され、定年までの生涯年収で帳尻が合う。それがあっての企業就職だったはずだ。45歳と言えば、入社から定年までのちょうど中間点ともいえる。

 誰もが社長になれるわけでもなく、会社組織のヒエラルキーの中では、次第に出世の機会も少なくなっていく。だからといって、お払い箱にされたのではたまったものではない。家族もいる。少子化が叫ばれる中で子どもも育てなければならない。その真っただ中の45歳で定年とされては、安心した生涯設計などできるはずもない。

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