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時にはマイナス、政治家の涙

2021年09月09日15時00分

「弱い政治家」のイメージに

 菅義偉首相が自民党総裁選への不出馬を表明した9月3日、小泉進次郎環境相は首相に「撤退」を進言していたことを明かし、涙を流した。政治家とて人の子。感情の発露として涙する場面を時には目にするが、権力をめぐって「仁義なき戦い」が繰り広げられているのが政界。状況、場面によっては、「弱い政治家」の印象を持たれ、マイナスに作用することも少なくない。(時事通信解説委員長 高橋正光)

◆「大将なのだから…」泣きながら説得-谷垣元総裁

 自民党の加藤紘一元幹事長が2000年11月、盟友の山崎拓元副総裁と共に森喜朗内閣の打倒に動いた「加藤の乱」。野党提出の内閣不信任決議案に同調しようとしたものの、当時の野中広務幹事長ら党執行部の切り崩しに遭い、否決が確実な情勢となった。筋を通すため、一人ででも衆院本会議場に乗り込み賛成票を投じようとする加藤氏を、側近の谷垣禎一元総裁は「大将なのだから…」と涙ながらに自制を求めた。この場面は、テレビのニュースで繰り返し流れた。

 当時、加藤氏は加藤派の領袖(りょうしゅう)で、不信任案に賛成すれば除名は必至。「大将」が討ち死にすれば、派の存亡にかかわる。側近として、撤退を説得したのは妥当な判断だったとしても、涙を流したことで、谷垣氏には「弱い政治家」のイメージが付きまとうこととなった。「誠実、温厚で高い見識を兼ね備えた政策通」。政治家として高く評価された谷垣氏はその後、財務相、政調会長など要職を歴任し、民主党政権時代に総裁に上り詰めたが、幹事長に起用した石原伸晃氏の総裁選出馬により、自身の再選出馬を断念した。

 その石原氏も、安倍晋三前首相を担いだ麻生太郎副総理から「明智光秀」とやゆされ、イメージダウンにより敗北。勝利した安倍氏はその後の衆院選で自民党が大勝、首相に再登板し、7年8カ月の長期政権へとつながっていった。逆に谷垣氏は首相の座を目前で逃し、政権トップに就けないまま政界を引退した。寝首をかかれた形ではあるが、石原氏の出馬を抑えられなかったところに、谷垣氏の政治家としての「弱さ」が垣間見えた。

◆国会で追及受け―海江田元経産相

 民主党の海江田万里経産相(当時)は東日本大震災から4カ月後の11年7月、菅直人首相(同)と対立し辞任の意向を示しており、国会で野党自民党の議員から辞任の時期を明確にするよう繰り返し迫られた。「何度もお答えしていますが、(出処進退は)自分で決めさせていただく」と答えて自席に戻ったものの、「国の将来を国民は心配しているのだ」などと畳み掛けられると、顔に手を当てて泣き崩れた。国会で野党に追及されての閣僚の涙は話題となり、「平成の黄門様」・渡部恒三元衆院副議長は「政治家は他人のことで涙を流すのは良いが、見えるところで自分のことで泣いちゃいかん」と指摘。涙に関する「政界の常識」を紹介しつつ苦言を呈した。

 海江田氏はその後、「ポスト菅」を選ぶ代表選で敗北したものの、衆院選惨敗、野党転落を受けた12年12月の代表選で勝利。しかし、党勢を回復できないまま代表として臨んだ14年12月の衆院選で落選。社会党の片山哲委員長以来、約66年ぶりの「野党第1党党首の落選」という不名誉な記録を残すこととなった。

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