筆者は開発援助団体専門家として2005年にアフガニスタンのカブールに赴任した。同じ職場で働いていたアフガニスタン人と結婚し、05年から16年まで12年間、彼の両親や兄弟を含む15人の大家族で、首都カブールで暮らした。ご近所さんはほぼ全員アフガニスタン人という普通の住宅地にある寝室三つの一軒家でだ。
16年、先が見えない状況を打破するために、夫や子どもとともに日本に居を移した。だが夫の姉妹家族や私の義きょうだい、おいっ子やめいっ子、そして12年間の暮らしの中でできた多くの現地人の友たちは、今もカブールで暮らしている。
そして頻繁に連絡も取っている。
21年8月15日、国土のほとんどを掌握した反政府勢力タリバン(※)の勢いに恐れをなし、アフガニスタン政府は「無血開城」すると発表した。そして米国をはじめとする西側諸国とその大使館などで働いていた「協力者」、さらには悪化するであろう治安状態の中から逃げようとする一般市民たちが空港に殺到していることは、日本の各メディアでも報道されている。
ただ、そうして国外退去ができる人々は一部の特権階級や、最近流行の言葉で言えば「上級国民」だけである。現在もカブール市内に取り残されている大多数の人々は、どんな思いでどんな日々を送っているのか。
現地にいる親戚や友人たちの声をもとに「市井の声」をお伝えしたい。
※アフガニスタンでの実際の発音は「ターリバーン」に近いが、ここでは日本での一般的な表記にあわせて「タリバン」とする。
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