東京五輪で親子2代、そして兄弟で陸上の五輪代表入りをかなえた選手がいる。男子200メートル代表の山下潤(23)=ANA=だ。父の訓史(のりふみ)さん(58)は三段跳びで1988年ソウル、92年バルセロナ両五輪代表。86年に樹立し、35年たった今も破られていない17メートル15という五輪種目で最古の日本記録を持つ。兄の航平(26)=ANA=は父と同じ三段跳びで、前回2016年リオデジャネイロ五輪に出場した。
さらに兄弟の妹、筑波大4年の桐子も三段跳びを専門とする日本学生トップクラスのジャンパーだ。まさに「陸上一家」でありながら、家族間でほとんど陸上の会話をしないというユニークな山下ファミリー。大舞台を前に、父訓史さんと潤、航平兄弟の3人が普段はなかなか言葉に出さない家族への思いや五輪について、本音で語り合った。そこには、心の中でそれぞれを尊敬し合う家族の絆があった。(時事通信運動部 青木貴紀)
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潤が東京五輪の切符をつかんでも、航平は潤に連絡していない。代表選考会を兼ねた6月下旬の日本選手権以降、2人で会話した記憶がないそうだ。航平が言う。「仲が悪いわけじゃないんですけど、言い換えるなら互いに興味がないというか、それぞれが自分のことに集中しているということ」
逆もしかり。5年前、航平がリオ五輪代表に決まった当時は、2人とも父の母校でもある筑波大に在学中で、潤が1年生、航平が4年生。アパートで一緒に暮らしていたが、潤は祝福の言葉を掛けていない。「(兄が五輪代表に決まって)なんかびっくりしちゃって。本当かな、みたいな。兄はすぐに海外へ調整に行っちゃったので、声を掛ける機会がなかったのかなと思います」
共同生活を送っていた時の様子を航平に聞いてみると、「それぞれ自分の部屋があって、好きな時間に好きなことをやっている感じ。『おはよう』『おかえり』『ただいま』も言わない。周りからは驚かれましたね」。こんな話を聞くと「仲が悪い兄弟」と思われるかもしれないが、そうではない。気を使わずに素で過ごせるのは家族だから。干渉しなくても互いにどこかで意識し、競技者として認め合っている。
思いやり、尊敬し合う兄弟
航平は日本選手権の三段跳びで、15メートル67の7位にとどまった。17メートル14の東京五輪参加標準記録を満たせず、2大会連続、そして兄弟そろっての五輪出場はかなわなかった。
潤は兄が悔しさ、ふがいなさ、さまざまな感情を抱えていることを感じ取っていた。「話す機会がなかったのもあるんですけど…」と前置きしつつ、「言い方は悪いんですけど、掛ける言葉が見当たらなかったかな。言うなら、『お疲れさまでした』です」。兄を思いやる気持ちを少しだけにじませた。
航平に、五輪代表に決まった潤へ掛ける言葉を尋ねると、「すごく期待に胸を膨らませていると思う。しっかりやれるだけのことやって、ANAの社員アスリートとして力を発揮してくれという感じです」。所属先の先輩としての立場も「利用」してエールを送られた潤は、「兄からのANA社員としての心構えをちゃんとしろというのは、体に染み込ませておかないといけないなと思います」と、笑顔で返した。
ともに日の丸を背負った経験があり、世界での飛躍を目指すトップアスリート同士。口にしないだけで、胸の中では互いに尊敬の念を抱いている。
航平「正直、兄としては認めたくないことなんですけど、弟は一人の日本を代表するスプリンター。私と違うところは中学からずっと結果を残し続け、シニアになっても世界選手権、五輪としっかり出続ける。世界の舞台で走り続けることが、一流かそうでないかの違いだと思う。自分と比較してのコンプレックスみたいなところなんですけど、僕はどちらかというと『一発屋』なので」
潤「兄の言葉を借りると、『一発屋』という言葉がありましたけど、僕はその一発勝負を懸けて成功することができていない。大きな飛躍や成長がないので、そういうところではまだ負けているなと思っている。ずっと兄の背中を見て走ってきたところもある。ようやく追いついたか、ちょっと後ろを走っているかぐらいだと思う」
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