新型コロナウイルスが猛威を振るう中、開幕を迎えた東京五輪。公式エンブレムを制作した美術家の野老朝雄(ところ・あさお)さん(52)は、どんな思いで開会までの紆余(うよ)曲折を見つめてきたのだろうか。「つなげる」をテーマに作品制作を続けてきた野老さんに、二つのエンブレムに込めた思いと、私たちにとってこの大会が持つ意味とは何かを聞いた。(時事通信社社会部 太田宇律)
◇ ◇ ◇
―野老さんのエンブレムが選ばれた2016年春には想像もつかない状況で、五輪の開幕を迎えました。率直にどんなお気持ちですか。
本当に複雑です。このところ五輪をめぐって「なんてこった」と思うようなニュースが相次いでいますよね。「安全」とか「安心」といった言葉も使いづらい感じになってしまった。パラリンピックが終わって、9月とか10月ごろには「やれてよかったね」と思える秋になっていればと、今心から願っています。
―エンブレムの「組市松紋」にはどんな思いを込めましたか。
一番重きを置いたのは、大会理念である「多様性と調和」です。まず「円相」と呼ばれる、お坊さんが描くような禅画をイメージしました。オリンピックのエンブレムは「輪になる」様子、パラリンピックは例えば「頑張ろう!」というふうに力こぶを作ったガッツポーズのようにも見える。そんな並んだ二つの輪を、平等な重さ、面積で表現できたらと考えました。
紋様を形作る一つ一つの図形は「個」ですが、それがある一定の「律」(ルール)でつながり、「群」になっています。スポーツでも、ラグビーはボールを前に落としてはいけないし、ボクシングは足で蹴ってはいけないというルールがありますよね。俳句の「五七五」の縛りもそうですが、ルールを共有することで、我々は離れた人や別の時代の人ともつながることができる。そんなテーマを込めました。
―エンブレムの藍色にはどんな意味があるのでしょうか。
エンブレムを構成する3種類の四角形の面積と同じ比率で、インクの原色であるマゼンダ、シアン、ブラックを混ぜ合わせてできたのが、この藍色なんです。江戸の古色のような風合いの「強い色」になりました。筋肉や体幹を鍛えているアスリートの強さを、印刷物でも表現したかった。ポスターを2カ月くらい日なたに置いておくと真っ青になってしまうように、印刷の世界では黄色や赤はあせてしまいやすい色ですが、青と黒は「強い色」なんです。
それから、歌川広重さんとか葛飾北斎さんの浮世絵でも、町人やお侍さんは藍色の着物を着ていて、公家やお金持ちのお嬢さんといった人たちは赤や黄色を身に付けています。そこから「みんなの色」といえば藍色じゃないかと思い至ったんです。
―紋様の世界に足を踏み入れたきっかけは?
父が建築家でしたから、最初は家を建てる人になりたかったんです。ただ、建築を勉強しながらも美術への憧れはふつふつと持っていました。そんなとき、2001年に9.11(米国同時多発テロ)が起きたんです。
自分は聖書は知っているけどコーランは知らないし、イスラム教徒もまわりにはあまりいなかった。大きな断絶を感じました。僕はあのときに、熱に浮かされたようにいろんな紋様を描き始めたんです。1000個くらい描いてふと我に返ったとき、「僕がやっていることは何なんだろう」と考えて、結局全部つなげようとしているんだなと気づきました。
大きなキャンバスを置けない小規模なアトリエでも、小さな図形や紋様をつなげていけば大きな絵が描けます。例えば対立している人たち同士でも、そういう紋と紋とのつながりを「おお」って面白がってくれている瞬間は、相手への怒りを忘れられるかもしれない。そうした積み重ねで、今は不可能だと思うこともいつか達成できるんじゃないでしょうか。「つなげる」っていうのは、そんな小さな平和運動の積み重ねだと思うんです。
―アスリートに対してはどんな思いがありますか。
コロナ禍で練習量が落ちてしまった選手も多いと思います。外国人選手も、外出が制限される中で大変な調整をされている。何が起こるか分からない状況でやりにくいでしょうけれど、本当にベストを尽くしてほしいです。
エンブレムが選ばれて、室伏広治さん=陸上男子ハンマー投げ金メダリスト、スポーツ庁長官=と初めて握手したとき、びっくりしたんですよ。まるでグローブをはめているみたいな、ものすごい手をされていたんです。格好よかった。そんな風に、一瞬のうちにとりこにしてしまうのがトップアスリートの持つすごさですよね。
アスリートは、「彼らのようにはできないけど、自分は自分でできることをしよう」とスイッチを入れてくれる人たち。彼らの存在自体が、次世代への大きなバトンのようなものなんです。
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