重圧も痛恨のミスも、経験するなら早い方がいい。女子ソフトボール東京五輪代表の二塁手・川畑瞳(デンソー)を、思いがけない試練が待っていた。だが、その打力と守備力で金メダルを狙う日本のカギを握る選手の一人。「今度は私が」と、持ち前の明るさを武器に初舞台へ向かう。
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7月10日夜、メキシコとの練習試合。宇津木麗華監督は川畑を6番二塁で起用し、本来は二塁と遊撃を守る市口侑果(ビックカメラ高崎)を2番右翼で使った。この2人と遊撃守備に定評がある渥美万奈(トヨタ自動車)の二遊間3人をどう使うかは、打線を組む上でも、このチームにもっと欲しいユーティリティー性を高める上でも一つのポイントになる。
そんなキープレーヤーの一人である川畑は、小学校6年の2008年、鹿児島の自宅で家族と北京五輪の金メダルを見た。投手だった川畑の目は、テレビ画面の上野由岐子(ビックカメラ高崎)にくぎ付け。五輪からソフトボールが消えると決まっていたが、地元の強豪、神村学園中・高でプレーを続けた。
選手としての転機は高校2年の時。就任した多田邦宏監督(現金沢学院大監督)が、川畑の運動能力を見て「実業団でやれる」と確信し、打撃を変えさせる。当てて走る俊足の左打者らしいスタイルだったのを、「小技で採ってくれる実業団はない。しっかり振れて打てる力がつけば、将来日本代表にも入れる能力があるからと、細かい事を一切禁止した」。
ひたすらバットを振る毎日が始まった。学校は外野後方にフェンスを設置し、大きな大会前に練習を手伝ってくれる社会人男子投手の球も、川畑はポンポン打ち返したという。
チーム事情で三塁から移った二塁守備も、「脚力があるから、捕り方は慣れていなくても脚力がカバーできた。肩も強い。言うことをすぐ吸収してできる子だった」。
川畑自身は「怒られ過ぎて何か印象に残っているというのはないですが、守備でよく怒られました。今思えば、高校生にしてはレベルが高いものを求められていたので」と笑う。恩師は「ある程度、好きにさせていましたけどねえ」と苦笑した。師弟の絆がうかがえる、ほほえましい食い違い。
3年生で高校総体優勝。デンソーへ入って2年目、日本代表に選ばれた年に、東京五輪でのソフトボール実施が決まる。消えていた目標が、また見えた。
川畑の特長は宇津木監督が言う「体の強さ」、多田監督が言う「ボールに対する動物的感覚」「いろんな状況で動けるバランス感覚」にある。ミートの瞬間の形が美しく、ボールを押し込める打撃。守備では1歩目もさることながら、動いた後の踏ん張りと送球にも、バランスの良さや筋力の強さが生きる。4歳上の市口と競いつつ、一方で「グラブの出し方やポジショニングについて話し合い」ながら、3月23日発表の五輪代表に選ばれた。
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