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佐々木朗希の2年目、担当記者が追ったキャンプインから甲子園でのプロ初白星まで

「発」の思い込めたシーズン

 プロ野球ロッテの佐々木朗希投手(19)がファン待望の勇姿を披露した。5月16日、本拠地ゾゾマリンスタジアムでの西武戦で1軍デビュー。先発して5回を投げ、6安打4失点で一歩を踏み出した。勝ち負けは付かなかったが、2度目の登板となった同27日の交流戦、阪神戦で初勝利を挙げた。岩手・大船渡高時代に最速163キロをマーク。甲子園出場を目指したが、果たせなかった。その夢舞台で5回を7安打4失点。直後にチームが逆転し、生涯一度の「プロ初白星」を得た。ドラフト会議で1位指名に4球団が競合した「令和の怪物」がプロ2年目を迎え、大器の片りんを見せつつある。2月のキャンプインから今日までを追った。(時事通信運動部 大戸琳太郎)

◇ ◇ ◇

 鳴り物入りで入団し、最初の2020年シーズン。新型コロナウイルスの影響によるプロ野球界全体の大幅なスケジュール変更という事情もあり、佐々木朗はルーキーイヤーの多くを体づくりに費やした。実戦登板はなかった。オフの契約更改交渉では、現状維持の推定年俸1600万円でサイン。「充実した1年を過ごせたと思うので、来年、再来年に生きるように」。プロ1年目を前向きに捉えた。

 21年の目標を漢字一文字で、との報道陣のリクエストに対し、色紙に記したのは「発」。その意図を「(21年は)2年目だけど出発。1軍の試合に先発で投げて、自分の力を発揮したい」と説明した。

キャンプ初日にブルペン入り

 21年2月1日。沖縄県石垣市でキャンプイン。2年目の春季キャンプも、1年目と同じく1軍でスタートした。「いろいろな練習をしながら、去年とは気持ちが全然違うなと感じた」。昨年はキャンプ最終日に初めてブルペンで投げたが、それを今年は初日に敢行。捕手が立った状態で直球を37球投げた。「しっかりブルペンに入れてよかった」。満足感と安堵(あんど)感をにじませた。

 2月12日に1軍が石垣キャンプを打ち上げた後、佐々木朗は1軍に同行せず、石垣島に残留して調整を続けた。フリー打撃やシート打撃に登板してフォームや変化球などの試行錯誤を重ね、「できた部分とできなかった部分が自分の中ではっきりしたので、修正して次に生かしたい」。登板ごとに着実にステップアップしてきた。

震災10年、「今は勇気や希望を与える立場」

 今年も、その日を迎えた。3月11日。東日本大震災から10年。岩手県陸前高田市出身の佐々木朗は、大震災で父の功太さん(当時37)と祖父母を亡くした。節目の年に「10年前の僕は、たくさんの人に勇気や希望をもらいながら頑張ることしかできなかった。今はその時と違って、勇気や希望を与える立場。活躍してそういうことをできたら」。目前に迫った自身の実戦デビューにも重ね合わせながら、今季の活躍へ気持ちを新たにした。

 翌12日。本拠地ゾゾマリンスタジアムで行われた中日とのオープン戦で、待望の実戦デビュー。「緊張するとは思うが、楽しんで自分らしく投げることができればと思う」。その瞬間を待ち焦がれていたロッテファンから大きな拍手を浴びて、六回からマウンドへ。1回を無安打無失点。12球のうち11球を投げた直球は最速153キロを記録し、強打のダヤン・ビシエドからは見逃し三振も奪った。「すごく楽しかった」。表情は充実感に満ちあふれていた。

開幕1軍ならずも、2軍でアピール

 3月23日の練習試合、DeNA戦で2度目の実戦登板。走者を背負った場面での投球など、さまざまな課題が出た。試合後、井口資仁監督は佐々木朗について、今後は2軍で調整させることを明言。開幕1軍の投手陣からは外れた。「(1軍のペナントレースで)投げられる状態になって、今度は上がってきてほしい」。井口監督が期待を込めた。

 指揮官の信頼をつかむべく、2軍で5試合に登板。5月8日の楽天戦では、プロ入り後の自己最多となる85球を投げて6回1失点とアピールした。「(打者が)ストレートを狙っていると思われる中、ストレートで勝負して抑えることができた」。この結果を受け、ついに1軍デビューが決まった。

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