東京五輪・パラリンピックは、多くの国民に対して「これなら何とか」と思えるものを示せないまま、開幕が迫っている。延期が決まった際、五輪のあり方を考える時だとの声が上がったのもつかの間。この1年余、コロナ禍の国民が見たものは、周到さの感じられない後手の準備と、政府や国際オリンピック委員会(IOC)の「やってしまえば」といわんばかりの強硬姿勢だった。そこには、今大会だけでなく将来の五輪にも及びそうな時代錯誤が見て取れる。
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先頃の国会党首討論で、菅義偉首相が長々と1964年東京五輪の思い出話をして失笑を買った。21日のIOC、東京都などの5者会談後には、記者会見で児童生徒の団体観戦を観客制限の別枠にする理由を問われた武藤敏郎組織委員会事務総長が、「64年当時(五輪を)見た人たちが一生の思い出として語り継いでいるので、大会の意義を小中学生に伝えていくことが大事」と説明した。半世紀以上の間、美化に美化を重ねた成功体験とは、これほどまでに時代錯誤を引き起こすものか。
武藤事務総長は聞かれていないのに「決して動員をかけるものではありません」とも述べた。もしも子どもたちを観戦に連れて行くなら、学校はその前に市川崑監督の記録映画「東京オリンピック」を見せてほしい。映像は、巨大な鉄球が東京のビルをたたき壊す場面から始まる。
64年大会の参加国は五輪史上最多(当時)の93、選手数は5152人(日本選手355人)。記録映画では三國一朗のナレーションが「日本にこれだけたくさんの外国の人が集まったのは初めてのことだ」と語る。
極東の島国へはるばる来た選手たちが、大国も小国もアルファベット順で行進する。教員や会社の事務員など、さまざまな本職を持つアマチュア選手が見せた精いっぱいの力と技。閉会式では国を超えて入り乱れ、国立競技場は高揚感に満ちた。
経済白書が「もはや戦後ではない」と書いてから8年。復興の手応えを感じていた国民が、世界から見た評価として、それを確認できたのが東京五輪だった。作家・橋本治は「OUR TIMES 20世紀」(98年刊)の中で「東京オリンピックこそが『戦後』の日本の成人儀式で、これを終え日本は、“一人前”を実感できたのだ」と書いている。
大戦の当事国で繰り広げられた光景は、たった2週間でも世界が一つになる一瞬を持ち得るという意味で、五輪がその運動の意義を強く体現した大会でもあった。
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