プロ野球ヤクルトの奥川恭伸投手が4月16日に20歳の誕生日を迎え、将来を見据えて「エースと呼ばれる存在になりたい」と決意を語った。その8日前、広島戦(神宮)で先発し、5回を10安打5失点と苦しみながらも打線の援護を受け、降雨中断後も踏ん張って待望のプロ初勝利。石川・星稜高で甲子園を沸かせた右腕が、大きな一歩を踏み出した。(時事通信運動部 峯岸弘行)
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プロの厳しい世界で2年目を迎えても、純朴さの残る好青年という印象は変わらない。報道陣の取材には、穏やかな表情で丁寧に受け答えをする。ただ、胸の内にはもちろん、熱い思いを抱いている。
「エースと呼ばれる存在になりたい。そうならないといけないというか、そういうのも十分に思っている。しっかりと期待に応えられるように、頑張りたい」。20歳になった奥川は自身が思い描く将来について、そう語った。
先輩たちの頼もしい援護
もがきながら、つかみ取った初白星だった。4月8日。今季2度目、プロ入り3度目の先発マウンド。一回、いきなり広島打線につかまり、4点を失った。早々に敗色ムードが漂ってもおかしくない展開。そんな状況で、頼もしい先輩たちが強力に援護した。一回裏の反撃で4点を返し、すぐに追い付く。同点適時打を放った8年目の西浦直亨は「奥川に勝たせようという気持ちがみんなにあった」と説明する。
二回、先頭打者に2球を投げたところで、降雨による54分間の中断。想定外の事態にも、集中力を切らさなかった。その間は体を冷やさないようにストレッチをするなど体を動かしながら、頭も整理した。「反省する時間ができた。気持ちを入れ直して、もう一回先発する気持ちだった」と切り替えた。
試合中に修正、「腕が振れてきた」
まだ雷鳴がとどろく中でマウンドに上がると、試合中にもかかわらず、フォームを修正した。投球動作で始動する前、グラブの位置が胸の前だったものを、ベルト付近に変更。それ以外にも微調整に取り組んだ。「丁寧にいこうという気持ちが強過ぎて、いまひとつ腕を振れていなかった。(修正後は)しっかりと腕を振れるようになった」。躍動感が増し、三回に味方が勝ち越してからはリードを守った。
圧巻は五回。それまで打ち込まれていた4番の鈴木誠也を、147キロの直球で空振り三振に仕留めた。続く松山竜平を左飛に打ち取り、会沢翼を見逃し三振に。ガッツポーズで締めくくった。ただし、決して納得できる内容だったわけではない。ヤクルトのベンチには、星稜高の1学年後輩で新人の内山壮真がいたこともあり「もう少しいいところを見せたかった」。本音ものぞかせた。
お立ち台でファンの温かい拍手
何はともあれ、生涯唯一のプロ初勝利。試合後はお立ち台に呼ばれ、初々しい笑顔を見せた。「初回に打たれてしまったけど、野手の皆さんにたくさん点を取っていただいて、こうして初勝利を挙げることができた。うれしい気持ちでいっぱいです」
手には「両親に届けたい」というウイニングボールを握りしめていた。新型コロナウイルスの影響で、観客は上限1万人に制限。飛沫対策から大歓声もなかったが、記念すべき一日はファンの温かい拍手に包まれた。
感慨深げの高津監督
ヤクルトの高津臣吾監督は「結果的には勝ったし、結果的には打たれた。本人の中で1勝はうれしいでしょうが、納得はしていないだろうし、また次ですね」。冷静に評した一方で、「いろいろな感情がある」と感慨深げに話す場面もあった。
「初めてのドラフトで彼を指名したところからスタートしている。去年1年間の姿を、なかなか一緒にはできなかったけどずっと見てきたし、今年は最初から1軍で、というのは僕の心の中で決めていた。勝てたことは本人にいい刺激で、今後に対する意欲になったのではと思う。僕自身もうれしかった」。率直な思いを口にした。
甲子園に4季連続出場
星稜高では甲子園に春夏4季連続で出場。2019年夏は、北陸勢初となる夏の頂点こそならなかったものの、準優勝の立役者になった。最速154キロの本格右腕として注目を集め、ドラフト会議では3球団競合の末、高津監督が就任直後の大役で交渉権を引き当てた。
プロ1年目、20年のキャンプインは右肘の炎症もあって2軍で迎えた。2月後半に初ブルペン。そのままファームで汗を流す日々が続いた。5月のフリー打撃登板で初めて打者と対戦し、球速は150キロ超に。そして6月20日に2軍戦で実戦デビュー。調整する過程では上半身のコンディション不良などでノースローの時期もあったが、一歩ずつ、着実に前進していった。
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