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戦後保守政治の裏側14 なかにし礼氏の“しなやかな反骨” 戦争の記憶を刻み込む執念

勇者と卑怯者

 両氏とも、防衛力強化だ、国家主義だと勇ましく叫ぶ人間が、いざとなると、変わり身が早く、無責任であることを知っていた。

 野中氏は、京都の府議会議員時代、共産党と共に京都を長く支配した蜷川虎三元府知事が、戦前戦中、「鬼畜米英を倒して、神国日本の御楯となれ」だの、「ペンを取るより銃を取れ」だのと学生たちを煽り、死地へと赴かせたことを議会で厳しく追及していた。

 なかにし氏は、「泣く子も黙る」最強の軍隊といわれた関東軍が、戦争もせず、居留民を見捨てて去って行く「卑怯」の実態を目の当たりにした。牡丹江からの脱出は、母親が関東軍とのつてを頼って軍用列車の最後尾に潜り込んで実現した。居留民の多くが駅に群がり列車を待っていた喧騒を脇目に、軍人とその家族を乗せた軍用列車は、夜陰に紛れて、離れた所から、こっそりと出発した。

 なかにし氏は、多くの人たちを出し抜いて軍用列車に乗り込み、いち早く逃げることに、子どもながらに後ろめたさを感じたという。

 「悪いんだ! その悪い卑怯列車に、我々も紛れ込んで脱出するんですよ。私も小さいながらに後ろめたさがあった。でも、我々は軍人じゃない。軍人たちは兵器を持って戦う使命がありながら、居留民を残して逃げていく。この人たちの卑怯さに比べたら、その卑怯さは100分の1、1000分の1でもある」

 こう思って自らの良心を納得させたそうだ。

 「政治は人間の正体を見せてはいけない」

 しかし、その逃避行は凄惨を極めた。

 たびたびソ連機の機銃掃射の的となり、弾丸はミシン針で縫うように、天井を撃ち抜き、椅子を撃ち抜き、床まで貫通して多くの人の命を奪った。8月だから死んだ人はすぐに腐敗してしまう。家族の慟哭をよそに列車から放り出され、転がり落ちる死体には中国人が群がり、身ぐるみ剥いで行った。

 列車が止まると、付近の開拓団の日本人が「乗せてくれ」と列車に群がりしがみつく。乗っている軍人が「乗るな! 降りろ!」と叫びながら蹴飛ばす。それでも扉を離そうとしない彼らの指を、一本ずつ剥がして振り落とす。

 わずか30センチ向こうに座っていた軍人が撃たれて死に、一緒に伏せていた、なかにし氏の目の前が血の海となる。金を奪いに来たソ連兵が拳銃を撃ち、弾丸が顔をかすめる。

 「戦争に幸運も不運もない。助かるか、助からないかは全て偶然。生死は結果でしかない」

 と、なかにし氏は振り返ったが、その「偶然」を乗り越えて、母と姉と共にハルピンにたどり着くことができた。強制労働に行った父親とも再会を果たす。

 しかし、父親は衰弱がひどく、間もなく命を落とす。埋葬する金もなく、リヤカーに乗せて共同墓地に運び、裸にされて乱暴に投げ込まれる様子を、目の当たりにすることになった。

 2015年8月6日に、2回目の出演となった「深層NEWS」で、なかにし氏は、こうした戦争経験を語った。この年に入ってすぐ、がんが再発したが、再び克服していた。

 「これまでの封印を解いて、もっとあからさまに、自分というものを、もう一度構築していくことが残された仕事だ」と決意を語り、戦争の本質を語った。

 「戦争は命が危ないだけではない。人間の残酷さ、意地悪さ、浅ましさ、えげつなさという正体が現れる。人間が鬼となる瞬間、地獄を見る。人間にとって、これ以上悲しいことはないんですよ」

 「それを見せるような状況を国家たるもの、政治家たるもの、つくってはいけない。人間は理想に向かって、どう生きるか懸命になるべきであって、正体を露わに見せて、これが人間だという状態をつくり出してはいけない」

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