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戦後保守政治の裏側14 なかにし礼氏の“しなやかな反骨” 戦争の記憶を刻み込む執念

大衆文化の保守の精神

 しかし、「この国を一色に染めさせない」という保守政治の実力者・野中広務氏の言葉を思い出せば、「時流に流されないヒットメーカー」という矛盾、アンビバレンス(相反する価値の同時存在)には、戦後保守の精神が反映されていることがよく分かる。

 権力とは本来、意志や方針を反対者がいても貫徹しようとする力である。従って、そこには自ずと物事を一色に染めようとする衝動が潜む。しかし、野中氏は、その衝動を警戒し、自戒し、抑制した。「政治家が立派な理念を掲げても、それで国民が本当に幸せになるとは限らない」と、警鐘を鳴らし続けた。

 「時流」を警戒するというなかにし氏のアンビバレンスは、「一色に染めることを嫌う権力者」という野中氏のそれと一致する。両氏に共通しているものとは何か。それは、「進め一億火の玉だ」と「時流」に乗って「一色」に染まった末路が、1945年8月の敗戦に至るという、悲惨な歴史の渦中にいたことだ。両氏は徹底して戦争を憎み、反戦を貫いた。

 「反戦」とは、ただ戦争反対と叫ぶことではない。戦争につながりかねない考え方を警戒し、えぐり出し、抑制することだ。両氏にとって、安倍晋三前首相が進めた集団的自衛権の憲法解釈変更は、米国の戦争に巻き込まれる可能性を予感させるものだった。この議論が沸騰した2014年に、なかにし氏は「若者よ、戦場に行くな」という詩を新聞紙上に発表して、文学の世界から、これに反対した。

 「平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう」

 という呼び掛けで始まるこの詩の一節にはこうある、

 「卑怯者? そうかもしれない

 しかし俺は平和が好きなんだ

 それのどこが悪い?

 弱くあることも

 勇気のいることなんだぜ

 そう言って胸をはれば

 なにか清々しい風が吹くじゃないか

 怖れるものはなにもない」

 野中氏も、この憲法解釈変更には反対だった。この時はすでに現役を引退していたが、現役だった2003年には、小泉純一郎政権が決めたイラクへの自衛隊派遣にも強く反対した。

 「自衛隊を海外に出したりすることを卑怯者と言われても避けてきました。憲法を盾にして戦争に加担しない道を歩んできたんです。一つ足を踏み出したら取り返しのつかないことになることは20世紀の戦争の一つ一つが物語っています」(2009年6月27日「しんぶん赤旗」)

 なかにし氏は、野中氏の姿勢を高く評価していた。

 「時代の変化や論理もなにもかも無視して、感情的といわれようと感傷的といわれようと構わず、死の瞬間までその『高い志』を語り続けた姿は感動的だ」(「サンデー毎日」2019年2月24日号)

 戦後、憲法を盾にして、経済重視、軽装備、協調外交の路線を堅持してきたことが、戦後保守の本流だったことは、これまでに指摘した。「卑怯者」と呼ばれても「戦争はしない、させない」という信念が、その底流にあったことは間違いなかろう。その本流の一端を、政治的に継承したのが野中氏であり、大衆文化の世界で支えたのが、なかにし氏だったと思う。

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