作詩家で作家のなかにし礼氏が去年12月23日に死去した。昭和の歌謡界をリードした稀代のヒットメーカーであり、直木賞作家であり、権力に対峙する硬骨の論客だった。去年10月に電話で話したばかりだった。【日本テレビ経済部長・菊池正史】
「雑誌の『サンデー毎日』で予定されていた自民党の石破(茂・自民党元幹事長)さんとの対談だけど、僕の体調が思わしくなくて延び延びになっているんですよ。総裁選も終わって時間も経っちゃったからどうしようかと思ってね」ということだった。
いつものように静かで柔らかい声だったが、少し力がないようにも感じた。会話の流れで、代表作である小説「赤い月」の話になった。
なかにし氏は1938年旧満州(現中国東北部)の牡丹江生まれ。父親は酒造業などを手広く営み、関東軍との深い関係を背景に財を成していた。旧ソ連と満州の国境に程近い牡丹江は、関東軍の武力に守られた人工都市として急速に発展し、その利権構造を象徴するような実業家の裕福な家庭で、なかにし氏は何不自由なく生まれ育った。
そんな生活が一変したのが1945年8月、6歳の時だった。突如、ソ連が参戦。間もなく牡丹江は空爆され、国境から戦車が迫ってきた。父親が出張中で留守だったが、母親は逃避行を決断したのである。「赤い月」は、そんな満州での生活と、壮絶な引き揚げ体験をテーマにしたものだった。
この中で異様な輝きを見せる人物が「波子」だ。実際の母親がモデルである。逃避行で子どもたちを守り続ける強さ、恋敵を軍に密告して処刑させる嫉妬深さ、関東軍将校との「深い」関係という、奔放な「性」の実態も描かれている。
実の母親の「性」を描くという冷徹さと、特異なエロチシズムに、背筋が凍るような感覚もあったので、
「小説だからかなりフィクションですよね」
と聞いてみた。すると、
「98%事実ですよ。親としても女性としても凄まじい人でしたから」
と即答だった。
「今度ゆっくり聞かせてください」「コロナが落ち着いたらぜひ会いましょう」と言葉を交わしたが、それが最後になってしまった。残念でならない。
戦後保守政治の裏側 バックナンバー
新着
会員限定