この記事は4月に掲載予定でしたが、掲載直前に筆者の北角裕樹さんがミャンマー治安当局に拘束されたため、北角さんの身の安全を考慮し掲載を見合わせていました。このほど北角さんが解放されたことを受け、2月の最初の拘束後に「ミャンマー国内の惨状を伝えてほしいという市民の思いに応え、現地の情報を発信する活動を続けたい」としていた北角さんの当時のリポートを掲載します。(時事ドットコム編集部)
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2021年2月26日、筆者はミャンマー最大都市ヤンゴンで国軍のクーデターに反対するデモを取材していた。迫ってくる警察の部隊を避けようとしたところを取り押さえられ、ヘルメットと防弾チョッキの上から、ガツンガツンと何かで殴られる強い衝撃を受けた。逃げるのをやめ、両手を上げて抵抗しないとアピールしていたのだが、殴打されてから両手を後ろ手にねじり上げられ、警察の護送車まで連行された。目撃者によると、警察官は筆者を警棒で激しく殴っていたとのことだ。筆者はその時、拘束された外国人ジャーナリスト第1号になったわけだが、今からすれば、運に恵まれていたとも言える。この翌日以降、当局に拘束されたジャーナリストは釈放されず、起訴されたり、外国人は国外退去を命じられたりするようになった。さらに治安部隊はデモ隊のみならず一般市民に対して実弾射撃を始め、多くの死者が出るようになった。そこで、筆者が取材中に拘束された状況を振り返るとともに、その後の現地情勢についてもリポートしたい。
平和的なデモを突如鎮圧
2月26日午前10時半ごろ、筆者はヤンゴンの繁華街・ミニゴン交差点近くで、デモの取材をしていた。数千人が高架橋の下で音楽やシュプレヒコールで抗議しているだけで、至って平和なデモだった。時事ドットコム向けにミャンマーの反クーデターデモが暴徒化しない理由について解説する記事を書こうとしていたので、もってこいの現場だった。写真や動画を撮影して11時を回った頃、遠くのデモの様子がおかしいことに気が付いた。よくよく見てみると、デモ隊の向こうに、数十人の武装警察官が横一列になって、警棒で盾をガンガンとたたいて行進してくる。慌ててカメラを動画に切り替えて撮影しながら、デモ隊と一緒に後ずさりし、警察の隊列から離れようとした。
警察の隊列はゆっくりと歩を進め、デモ隊との間を詰めていた。一方、デモ隊は数千人もいるため、それほど素早くは移動できない。ふと気付くと、大通りの反対側からも数十人の警察官が迫っており、挟み撃ちにされるような形になった。
何人かの警察官がこちらを見ている。狙われていると感じた。筆者はカメラを下げ、そそくさと道の端によって現場から離れようとした。その時、4~5人の警察官が、こちらに向かって猛ダッシュしてきた。横道を探して逃げようとしたが、入れる道はなかった。逃げられないと悟り、両手を上げ、抵抗の意思がないことを示した。しかし、警察官は強引に筆者を取り押さえ、殴打を加えた後にカメラと眼鏡、ヘルメットを奪い取った。そしてそのまま護送車に連行されたのは、冒頭に記した通りである。
幸運なことに、拘束された現場には多くの報道関係者とデモ隊の人たちがいて、彼らの手にはおびただしい数のスマートフォンやビデオカメラがあった。筆者が連行され、警棒で殴られ、蹴られる様子を多数の人が目撃していた。あっという間に「日本人記者が拘束」とのニュースが、ミャンマーのSNSを駆け巡った。また、友人のカメラマンは、筆者がどこに連れていかれるのか突き止めようと、ずっと行方を追ってくれていた。
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