万感の思いがこもった勝利だった。世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級スーパー王者、京口紘人(27)=ワタナベ=の防衛戦。米テキサス州ダラスのアメリカンエアラインズ・センターで3月13日に行われたタイトルマッチ12回戦は京口にとって、多くの意味と重みがあった。昨年11月、大阪での防衛戦直前に自身の新型コロナウイルス感染が判明して試合が取りやめに。年の瀬には父、寛さんのがんが判明した。苦難を乗り越えて立った米国のリングから、勝利を父に届けたい―。
結果は、挑戦者で同級10位のアクセル・アラゴン・ベガ(メキシコ)に5回1分32秒、TKO勝ち。ベガが京口の側頭部を打った際に右手を痛め、レフェリーが試合を止めた。大物プロモーター、エディ・ハーン氏が率いるマッチルームと契約を結び、ボクシングの興行が盛んな米国のリングに初めて立った京口は、インターネット動画配信「DAZN(ダ・ゾーン)」での中継を介し、世界中のファンに実力をアピールするはずだった。不本意な幕切れだったとはいえ、3度目の防衛に成功。「勝ててよかった」と率直な感想を口にした。(時事通信ロサンゼルス特派員 安岡朋彦)
「ミニ」を攻めあぐねる
ベガは「ミニ」の異名を取り、軽量級でもひときわ小柄な選手。挑戦者の身長は公式資料で5フィート0.5インチ(約154センチ)と表記されていたが、162センチの京口よりも一回り以上も小さかった。関係者によれば、実際の身長は4フィート9インチ(約145センチ)。京口がこれまでに経験したことのないサイズの相手で、得意の左ボディーなどのパンチは思うように決まらなかった。公式記者会見や計量で顔を合わせた際、体の大きさは「想定内」と話していたが、いざ拳を交えると「あそこまで低い位置から来られると、今まで経験がなかったので、少し戸惑いはあった」と打ち明けた。
特に2回は、小さな体をかがめて京口の体に頭を付けるようにして接近戦を挑むベガに対し無理に打ち合ったり、ロープを背負ったりする場面が目立った。「付き合った部分があったのは、反省点」。ただ、その後は修正を加えており、リング上では冷静だったように見えた。
「カッとなって打ち合いになった時、相手にチャンスがいくなというのは分かっていた。そこは気を付けないといけないポイントだとは思っていた。冷静に、頭のガード固めて、リズム取りながらジャブを打った」
4回はそのジャブで距離を取り、ペースをつかみかけたようだった。ところが、5回に予期せぬ形で試合は終わる。右で京口の側頭部を打ったベガが苦悶の表情を浮かべ、背中を向けてロープ際へと下がった。負傷で戦意を喪失した相手に京口が追い打ちをかけたところで、レフェリーが2人の間に割って入った。
「アピールしたかった」
結果はTKO勝ちでも、4回終了までのジャッジの採点は、2人が38―38の同点。残る1人は39―37でベガを支持していた。米国でのデビュー戦で、実力差を示す勝ち方が求められた京口にとっては、到底納得のできる内容ではなかったはずだ。
ハーン氏によれば、試合後に京口から「ソーリー、ソーリー」と謝罪の言葉があった。当の京口も、日本メディアを相手にした囲み取材で開口一番、口を突いて出たのは反省の弁だった。
「求められたのはもっと違う形のKOだったと思う。もうちょっとアピールしたかった。(ベガは)いいファイターだったけど、(自分自身に)求められていたパフォーマンスには及ばなかったな、というのはすごく思う」
コロナ感染と父のがん
京口はそれでも、控室で喜びを爆発させた。試練の一年だった2020年を耐え抜いて勝利をつかんだことこそ、価値が高い。
コロナ禍のため、19年10月の久田哲也(ハラダ)との防衛戦を最後に試合ができなかった。20年11月3日に防衛戦が組まれたが、前日の調印式と計量に臨む前にPCR検査を受け、陽性が判明。急きょ中止が発表された。隔離期間中には「ボクシングをやめようと本当に思った」と明かす。ファンの声を受けて復帰を決断してからも、不眠などの後遺症があったという。
「1月中旬くらいまでは(その状態が続いた)。メンタルが一番だと思うが、不安がすごくあった」
20年12月29日には、父の寛さんが喉頭がんの診断を受けた。この日はくしくも、父の56歳の誕生日だった。
「僕はその時、試合が決まるかも、というところだった。(父は)そんな中でも、自分自身じゃなくて僕の激励。『頑張れよ』って。逆の立場だったら、自分の命が怖い。でも、ほんとにずっと連絡をくれて、勇気づけられた」
ファンの声で復帰を決断し、病床の父を元気づけるためにがんの手術が予定されてた3月のリングに上がった。満足のいかない形であっても、結果として勝つことが最も重要だった。「今回はファンと父のために戦った。僕が勝ったので、おとんにも勝ってほしい」。寛さんのことを話し始めると、試合後は笑顔が絶えなかった京口の目から涙がぽろぽろとこぼれた。「早く帰って会いたい」。実感を込めた。寛さんは、京口が米国での戦いを終えて帰国した3月15日に手術を受けた。無事に成功したという。
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