―コモンの再生について、マルクスが研究していたのですね。
マルクスが考えたのは、アソシエーション(労働者の自発的な相互扶助)を広げる運動でした。ソ連のように全部を国有化する、今の新自由主義のように全部を商品化する、という両極端ではなくて、中間的な領域にコモンやアソシエーションを広げるという考え方です。国有も市場で媒介される経済活動もあってもいいが、社会主義か資本主義かではなくて、その間にあるのがコモンによる「コミュニズム」なんです。
―ソ連崩壊でマルクス主義は終わったものと思っていました。
ソ連もある意味では資本主義的な社会で、マルクスとそんなに関係はなかったと思っています。資本家がいない体にして、資本家の代わりを官僚がやっていた。肥大化した官僚組織は効率が悪く、米国にはかなわず崩壊しました。
―近年の研究では、「資本論」の第1巻出版後の15年間でマルクスが思想的な転換を遂げていたことが分かってきたそうですね。没後にエンゲルスがまとめた2、3巻にはその内容が反映されなかったと。
晩年に書き残した大量の研究ノートなどの読解で、マルクスが最後まで何を考えようとしていたかが分かってきました。晩年のマルクスは、自然科学だけでなく、ロシアや米国、南米、インドなどの共同体を熱心に調べていました。そうした共同体が19世紀まで生き延びた力の源泉を研究しており、当時のノートを読むことで「資本論」の議論を先に進められます。
―従来なかった解釈が新資料により可能になったと。
それ以外にも、ソ連が崩壊してさまざまな固定観念から解放されたのも大きい。私のようにソ連や冷戦を肌感覚で知らない世代が出てきて、しかも資本主義が行き詰まっている。日本で一番マルクスが読まれたのは戦後の数十年ですが、私が読んだ2010年代とは状況が全く違います。資本主義が絶好調な高度経済成長の時代と、格差や環境問題など資本主義の矛盾に強烈なリアリティーを感じる時代とで、読み方が変わるのは当たり前です。
―今だからこそマルクスの重要性が増しているということですね。
資本主義を分析して別の社会を開こうとしたのがマルクスです。ここまでのレベルで議論したのは歴史的にも他にいません。すべてを説明してはいないが、その後の知的な遺産も含めて、資本主義ではない社会を構想するための体系的な議論があるのはマルクス主義しかない。貴重な1人だと思いますし、使わない手はありません。
米国での原体験
―そもそもマルクスに興味を持ったきっかけは。
大学に入ったころからマルクスを少し読んでいましたが、階級と言われてもリアリティーを感じなかった。けれども、(05年に米国本土を直撃した)ハリケーン「カトリーナ」後にニューオリンズでボランティアをした際に、貧しいエリアの家が壊れたままの状態だったのを見て、米国の階級社会の現実に衝撃を受けました。
―米国での体験が大きかった。
その後の08年のリーマンショックも大きかったですね。日本では年越し派遣村が話題になりましたが、大学の友人たちも内定が取り消しになった。研究の根底には、弱者が経済に振り回される理不尽さへの怒りがあります。
―その後、ドイツの大学院に進学しますね。
ドイツ語でマルクスをしっかりと勉強したいというのがありました。ベルリンに「MEGA」(マルクス・エンゲルス全集の国際プロジェクト)の編集本部があり、その編集作業に関わることで、マルクスの環境問題への関心の深さに気が付きました。それが、東日本大震災の原発事故ともつながって、現在の研究テーマになっています。
(2021年5月3日掲載)
インタビュー バックナンバー
新着
会員限定