東京五輪の聖火リレーは3月25日に福島県を出発しておよそ半月が経過した。1964年の前回東京五輪では、ムード高揚に絶大な効果をもたらした聖火リレー。夢よ再びと期待する人たちがいる半面、コロナ禍の日本列島を進む今回の聖火には、当時と全く違う視線が注がれている。
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新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない大阪府では4月7日、吉村洋文知事が府内全域の公道を走る聖火リレーを中止する意向を表明した。東京五輪・パラリンピック組織委員会との間で、代替案として吹田市の万博記念公園を完全に閉鎖して行う方向になっている。一方で中止の検討を表明していた島根県は、規模縮小を条件に実施する考えを示した。
スタート前から著名人の辞退が相次ぐなど、厳しいムードの中で始まった聖火リレーは、各地で予断を許さない状況が続きそうだ。
聖火リレーは、全国津々浦々の人々に五輪を間近に感じてもらい、機運を盛り上げるのに絶対必要なイベントと位置付けられてきた。昨年3月にも、五輪延期が決まる直前まで、感染リスクが高いというなら聖火を車で運ぶことまで検討するほど、組織委は固執した。
コロナ禍と1年延期で五輪の大胆な簡素化が叫ばれた後も、聖火リレーや開閉会式はその対象にならない。大きなビジネスツールと化したからだが、五輪開催に突き進む人たちにとって、聖火リレーは64年大会の成功と切り離せない存在として、記憶に塗り込められている。
57年前、聖火は9月7日に台湾から米統治下の沖縄へ着いた。沖縄から3都市へ分けて運ばれ、宮崎から大分―四国―関西―東海を通るルート、鹿児島から熊本―長崎―福岡を経て広島―山陰―北陸―長野を通るルート、札幌から青森で2手に分かれて南下するルートの計4ルートを走り、10月7~9日に東京へ到着。10日の開会式で、原爆が投下された日に広島県内で生まれた19歳の青年・坂井義則さん(故人)によって国立競技場の聖火台に点火された。
67年に日本放送協会放送世論調査所(現NHK放送文化研究所世論調査部)が刊行した報告書「東京オリンピック」には、各種世論調査やテレビ視聴率とともに、各新聞が聖火リレーを報じた様子がまとめられている。それによると、聖火到着の日の琉球新報は「感激と興奮の渦 日本人の誇りかみしめ」と見出しを付け、夕刊1~3面を関連記事で埋めた。
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