3月19日に甲子園球場で開幕する第93回選抜高校野球大会。昨年は新型コロナウイルスの影響で春夏とも中止となり、2年ぶりに戻ってくる高校球児の夢舞台で、32校が熱戦を繰り広げる。甲子園の優勝経験などがある強豪校が名を連ねている中、キラリと光るのが大崎(長崎)だ。長崎市の北隣、西海市の西に浮かぶ大島にある県立校で、甲子園出場は春夏を通じ初めて。全国的には無名と言える存在ながら、この2、3年でめきめきと頭角を現し、センバツ切符の重要な指標となる昨秋の九州大会で堂々の優勝を果たした。島の公立高校が旋風を巻き起こすか。(時事通信福岡支社編集部 鎌野智樹)
◇ ◇ ◇
昨秋、九州を除く地区大会で優勝したのは北海(北海道)、仙台育英(東北)、健大高崎(関東)、東海大菅生(東京)、敦賀気比(北信越)、中京大中京(東海)、智弁学園(近畿)、広島新庄(中国)、明徳義塾(四国)。甲子園常連の顔触れだけに、大崎がひときわ異彩を放つ。
清水監督就任から上昇カーブ
数年前まで、大崎は長崎県の大会で初戦敗退を繰り返していた。部員数が足りず、野球部の存続すら危ぶまれていたが、大きな転機は2018年春。清水央彦(あきひこ)監督の就任だ。ここから県のトップレベルへと上昇カーブを描いていった。
清水監督はかつて、清峰でコーチを務めて同校を屈指の強豪校へと育成。その後は佐世保実の監督として12、13年に夏の甲子園へ。13年秋、部内暴力をめぐり日本学生野球協会から謹慎処分を受け、やがて同校を離れた。処分は16年3月に解けている。この間の14年4月、高校野球を通じて「地域を盛り上げてほしい」と西海市に請われ、同市教育委員会の職員に。17年夏に大崎のコーチとなった。
島外から球児が続々
当時は部員がわずか5人。秋の県大会は他校と連合チームを組み、何とか参戦した。翌年春。新監督の指導を仰ごうと、佐世保市などの中学から多数の球児が入学してきた。まずはグラウンドの整備から。その時の1年生は清水監督にとって事実上、大崎で初めての教え子たちで、今春の卒業生。ゼロからともに歩んできた彼らは、監督就任3年足らずで甲子園にたどり着いた礎でもある。
就任当初、清水監督が重視したのは基礎づくりを徹底させること。「時間がかかることは、しっかりと時間をかけて。技術は一日だけでも付く。(バットを)振る力や馬力を付けるには時間がかかるので、そういうところを分厚くしてやってきた」との考えが根底にある。厳しい走り込みも課した。多くの選手が「きつい」と漏らしたのが1周約270メートルのインターバル走。冬場には丸1日ランニングを繰り返すこともあったという。
3年生あっての甲子園
練習の蓄積は、最初の教え子たちが中心の新チームになった19年秋に実った。県大会で見事に優勝。九州大会では1回戦で惜敗したが、甲子園が現実的なターゲットになってきた。ところが20年春、新型コロナウイルスの感染拡大という想定外の事態に。高校球界に大きな影を落とし、選抜大会に続き、夏の全国選手権大会も中止。夏の地方大会もなくなった。その後、地方大会の代替大会を模索する動きが全国に広がり、長崎では「長崎県高等学校野球大会」が行われ、大崎が優勝。甲子園の土を踏むことはかなわなかったものの、3年生は力の限り燃焼した。その姿を見てきた後輩たちが、今度は正真正銘の大舞台に乗り込む。
選抜大会の選考委員会が開かれた今年1月29日。卒業を控える3年生たちもグラウンドに駆けつけ、一緒に吉報を聞いた。清水監督は「(3年生にとって)グラウンド整備から始めたようなところで、最後にいい発表があり、感慨深い」。昨秋からのチーム(2年生以下)がつかんだ初の甲子園出場に、「3年生がやったことに1、2年生が足してくれた感覚」と同監督。時折言葉を詰まらせた。
新着
会員限定