琵琶湖のほとりがコースの大会としては最後の開催となった2月28日のびわ湖毎日マラソンで、鈴木健吾(富士通)が日本新記録の2時間4分56秒で初優勝を果たした。大迫傑(ナイキ)の日本記録を33秒更新し、自己記録を一気に5分25秒も縮めてみせた。神奈川大3年時の箱根駅伝で「花の2区」を走り、区間賞を獲得して脚光を浴びたホープが、地道に努力を重ねて開花。純粋に走ることが大好きな25歳の素顔と、快挙を成し遂げるまでの軌跡を追った。(時事通信運動部 青木貴紀)
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「実感はないけど、あまり華やかに生きていないので。これからもこのタイムにおごらず、こつこつと走っていきたい」。レース後、日本記録保持者になった感想を聞かれた鈴木は、つつましく答えた。日本人初の2時間5分切りという金字塔にも、謙虚な姿勢を崩さない。一つ一つの質問に丁寧に受け答えする。鈴木の人柄を如実に表していた。
愛媛に「面白い選手がいる」
愛媛県宇和島市出身。小学6年から陸上を始めた。宇和島東高3年時に全国高校総体の5000メートルで大幅に自己記録を更新し、10位。神奈川大で鈴木を指導した大後(だいご)栄治監督が当時を回想する。「ゴール地点にいた他大学の先生たちが、『あの選手は誰だ』と言っていた。もううちに決まってるから駄目だよ、いまさら遅いよ、と。そんな感じでした」
大後監督は、鈴木が高校1年時に天性の素質を見抜いていた。スカウトの担当コーチから「面白い選手がいる」と連絡を受け、直接見に行った。「当時から小刻みな気持ちの良いピッチで走る選手でした。力みがなく、リズム感が自分の体の中に染みついている。体ができてくれば、将来はマラソンまでやれる選手だなと思いました」。鈴木は、全国的に無名だった時にいち早く自分を勧誘してくれた神奈川大に進学した。
食事に帰ってこない「練習の虫」
着実に力を伸ばし、箱根駅伝は4年連続で出場。大学3年時にエースが集まる2区で区間賞を取ったことで自信を深め、大後監督とも話し合って将来はマラソンで世界を目指そうと決めた。30年以上の指導歴を誇る大後監督がマラソンへの適性を認めた大きな要因の一つが、「ピカイチ」とうなる鈴木の豊富な練習量だ。驚くべきエピソードを教えてくれた。
「合宿に行くと、食事の時間に帰ってこないんですよ。朝に2時間弱、昼に2時間弱、夕食前もそのぐらい走るから食事に間に合わない。2時間ジョグを1日に3回もやる選手を私は見たことがない。強制ではなく、とにかくいっぱい走らないと満足しない。走るのを止めるのが大変でした」
「練習の虫」は今も変わらない。今年1月下旬の鹿児島・徳之島。富士通陸上部の福嶋正監督によると、東京五輪代表で同僚の中村匠吾との合宿で、練習の合間に約2時間、黙々と走っていた。中村を指導する駒大の大八木弘明監督から「走り過ぎだよ」と心配されたほどだという。「好きな走ることを仕事にさせてもらえてすごく幸せ」と話す鈴木の目は輝いている。
素朴な性格の一方で、大の負けず嫌いな一面も高みを目指す上でプラスに働いている。大学時代、与えられた練習をこなせないと、号泣して悔しがったという。大後監督が「箱根駅伝は通過点、刺激程度でいいと考えざるを得なかった。国内の駅伝で満足させてはいけないと思わせる選手だった」と語るほど、潜在能力は群を抜いていた。
実業団で味わった挫折
大学4年の18年2月に東京マラソンで初のフルマラソンに挑み、2時間10分21秒で19位。上々の「デビュー」を経て、同年4月に名門の富士通に入った。順調に歩みを進めていたが、ここから苦悩の日々が待ち受けていた。初マラソンの疲労が抜けず、股関節と膝の故障を繰り返し、年末には大腿(だいたい)骨の疲労骨折が判明。社会人1年目はほとんど走ることができなかった。鈴木はどん底の日々をこう振り返る。
「大学時代をへし折ってくれるじゃないですけど、『調子に乗るな』と言われたような期間でした。いろんな人が良い結果を残しているのをテレビやSNSで見て、自分は全然駄目だなと思った。より一層地道にやっていかないと、センスがある人にはかなわないと思い、自分の心を奮い立たせて努力してきた」
19年9月に行われた東京五輪代表選考会のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)は、一番最後に出場資格を得て何とか出場。本番では自ら仕掛けるなど存在感を示したが、残り3キロ付近で先頭集団から脱落して7位に終わった。「代表に内定した選手は本当に勝ちにいく戦いをしていた。自分は大学で持ち上げられていたけど、こんなんじゃ戦えないと厳しさを痛感したのがMGCだった」
変革へ、筋力とスピード強化
社会人2年目が終わろうとしていた20年3月のびわ湖毎日マラソンは35キロ以降に急失速し、2時間10分37秒で12位。自身4度目のマラソンでも、後半にペースダウンしてしまう課題を克服できなかった。このレースが転機となり、「何かを変えないと」と決意。トレーニングを見詰め直した。
20年春からバーベルを使ったウエートトレーニングを毎週行い、臀部(でんぶ)や太もも、体幹を中心に筋力を鍛えた。日本トップの実力者がそろうチームメートと切磋琢磨(せっさたくま)してスピード強化にも力を注ぎ、20年は1万メートルで27分台の好タイムを2度マーク。福嶋監督が「故障しなくなったし、体幹の軸がぶれなくなった」と言えば、恩師の大後監督も「上半身、特に肩甲骨の使い方が格段に成長している」と目を細める。
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