東日本大震災から10年。東京電力福島第1原発事故による放射能汚染に苦しむ福島県で、夢と希望を捨てず、地域の復興で輝いた2人の女性がいる。二本松市の東端にあり、ぎりぎりで避難を免れた里山地帯に住む山崎友子さん(63)と引地知子さん(63)だ。彼女たちは仲間と共に農業を柱に据えた産業起こしや伝統的な食文化を学ぶことで多くの人々を巻き込み、地域に希望の風を送り込んだ。
「がんばれ、山崎!」。2011年3月11日、同市岩代地区(旧岩代町)に住む山崎友子さんは激しく揺れるわが家に向かって思わず叫んだ。家は築120年(当時)。明治時代に建てられ、太い大黒柱や梁、厳かな神棚がある木造家屋には、1981年に23歳で結婚し、住むようになって以来、強い思い入れがあった。壁の一部がはく落し、地割れが起きたものの、家は地震に耐えた。
山崎さんは岩代町に生まれ育ち、地元高校を卒業後、上京して保育学校で学び、同町に戻って幼稚園の先生となった。その後、農家の長男清典さんと結婚し、農業生活が始まった。
転機となったのは96年に清典さんから「行ってこい」と背中を押された欧州5カ国をめぐる海外農業研修の旅。ドイツで経験したブドウ農家での宿泊体験は衝撃的だった。「こんな世界があるんだ」。バカンスなどを利用し農家での宿泊を楽しむグリーンツーリズムと出会い、そう思った。
翌年、農水省が企画した女性向け「グリーンツーリズム講座」に参加。講師の山崎光博氏(元明治大教授、故人)が言った「グリーンツーリズムをやりたいと言ってもきっと地域で浮きます。理解者を持ち、仲間作りから始めてください」という言葉が耳に残った。
山崎さんはさっそく農家仲間の女性5人とグループを結成、道路沿いのちょっとした空き地を借り、野菜の直売所を開いた。土日だけの小さなスタートだったが、徐々に評判を呼び、2000年には食品加工や工芸など農家以外の人々も加わってもっと大きなグループに発展した。
山崎さんの取り組みを見ていた町は食堂もある本格的な直売所を建設。約60の企業や団体が集まり、山崎さんが全体のリーダーとなって04年から直売所「さくらの郷」がスタートした。名前は町にしだれ桜の名所が多いことにちなんだ。翌年岩代町は二本松市と合併した。売り上げは順調に伸びていたが、そこで起きたのが東日本大震災と原発事故だった。
11年3月、大量の放射性物質が放出された原発事故後、太平洋岸と内陸をつなぐ459号線沿いに立つさくらの郷には、原発に近い浪江町から避難してきた住民が訪れ、山崎さんたちは炊き出しに追われた。おにぎりとみそ汁を食べながら、無表情で涙を流す避難者の姿。山崎さんは「なんと大変なことが起きているのか」と胸が張り裂けそうになった。
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