アイスホッケーの世界最高峰、北米リーグ(NHL)入りを目指す日本代表FWの平野裕志朗(25)が、新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)されながらも不動の志を持ち続けている。2020年3月、プレーしていたNHL3部相当のイーストコースト・リーグ(ECHL)がコロナ禍でシーズン打ち切りに。帰国後、9月からはECHLの開幕に合わせて期限付きで、アジアリーグ加盟の横浜グリッツと契約。同リーグの代替として20~21年シーズンは国内の5チームが争っているジャパンカップで活躍した。
そして11月半ば、ECHLの強豪シンシナティ・サイクロンズから声がかかり、入団が決定。しかし、再び渡米しようとしていた12月初め、コロナを背景にサイクロンズがシーズン不参加を表明。横浜グリッツと21年3月まで契約延長することになった。多くの壁が立ちはだかったこの1年。平野は何を感じ、どんな思いだったのか。ジャパンカップで横浜グリッツは2月20日、チームにとって今年最初の試合に臨む。(時事通信社 浅野光青)
◇ ◇ ◇
過去にNHLでプレーした日本選手は、2006~07年シーズンのGK福藤豊(現栃木日光)だけ。ナショナルチームのレベルでも、日本は6大会続けて五輪出場を逃すなど、まだまだ世界が遠い。そうした中でも、NHLを目標に海外で挑戦してきたのが平野だ。18~19年シーズンからECHLでプレー。NHL2部相当のアメリカン・リーグ(AHL)でも1試合出場しており、日本勢初となるFWとしてのNHLデビューが期待されている。
主戦場の米国を離れて
日本のアイスホッケー界にとって希望の星とも言える平野だが、20年春、主戦場の米国をいったん離れて帰国した。3月中旬。新型コロナが世界的に感染拡大し、米大リーグが開幕延期を決め、NHLもシーズン中断を発表。時を同じくして、ECHLもシーズン中断を余儀なくされた。
直後、所属していたウィーリング・ネイラーズが平野に帰国を指示した。19~20年シーズン、出場した52試合でチーム2位の35ポイント(13ゴール、22アシスト)を記録。だが、AHLには呼ばれなかった。「また上がってこいと伝えられていた。2年連続AHLの試合に出られれば、自信にもなったと思う。本当は4月の中旬ぐらいまであったので、その1カ月の重みを感じた」。前年は最終戦で昇格しただけに、その機会が絶たれたことを嘆いた。
生じた「時間」を有効活用
日本に戻ってからは、実家のある札幌で過ごした。練習をするにも、当時はリンクが休業中で「ストレスを感じていた」。それでも、次のシーズンを見据えて時間を無駄にはしなかった。知人と共に筋力トレーニングを支援する会社を設立。スポーツジムで1カ月に10人ほど、学生らに自分の経験を伝えながら、平野もトレーニングを続けた。
さらに、自身のブログに「平野裕志朗の時間を買いませんか?」と投稿。かねて日本のアイスホッケーを盛り上げたいという強い希望を持っていた平野は、突如生じた時間をより有効に活用。学生選手ら約50人から応募があった。収益を地域の新型コロナ対策に役立ててもらおうと、有料のオンライン形式にして語り合った。平野の経験談を交えたり、どうしたらアイスホッケーをメジャーにできるかについて知恵を出し合ったり。「現役としてできることを世の中に伝えながら、自分のメンタルやトレーニング環境を保つために一日を大事に生きていた」
新興チームに期限付きで加入
7月に入ると、氷上練習ができるようになった。とはいえ、実戦感覚を維持する機会はない。そこで頼ったのが、アジアリーグへの参入が6月に認められたばかりの横浜グリッツだった。19年のシーズンオフにも、同チームの一員として練習試合に参加した経緯があり、トントン拍子で加入。ECHLの開幕に合わせ、11月末までの期限付きで契約した。
9月中旬、チームに合流。同26日には加入後最初の実戦、栃木日光とのプレシーズンマッチを迎えた。平野はパスでたびたび決定機を演出。持ち味の強烈なシュートを披露する機会は少なかったが、ベンチで仲間を鼓舞するなど存在感は際立っていた。浅沼芳征監督は「リーダーシップをとって、試合に向かう姿勢を体現してくれた」と評価。本人は3年ぶりの日本でのリーグ戦に向け、「平野ってすごいね、と思ってもらえるように。アイスホッケーを知らない人にも知ってもらえるようにプレーしたい」と意気込みを口にした。
言葉通りに早速、存在感を示す。10月10日の開幕戦。王子に0-6と大量リードされた第2ピリオド終盤、チームのアジアリーグ参入後初得点を決めた。「自分が取ったとかではなく、日本のアイスホッケー界として、グリッツが点をとったことに意味がある」。年内は計13試合、主力が入る1セット目のFWでプレーし、11ポイント(2ゴール9アシスト)を挙げた。ただし、参入1年目とはいえチームは全敗。「自分が決めていれば勝っていた試合もあった」。勝利に導くことができず、平野は唇をかんだ。
「デュアルキャリア制」に共感
ただ、このチームに手応えも感じていた。開幕カードの2試合で合計1―20と大敗した王子に対し、1カ月後の対戦では3―4と勝利にあと一歩まで迫ったからだ。平野は、その結果について「日本アイスホッケー界に衝撃を与えている」。そう話す背景に、選手が一般企業で仕事をしながら競技活動を行うという「デュアルキャリア制」を採用しているチーム方針がある。プロ野球やJリーグなどに比べると、アジアリーグの規模は小さく、プロになったとしても引退後のキャリアには不安が残る。そこに一石を投じた試みに、可能性を感じた。期限付きで入団を決めたのも、「日本のアイスホッケー界を考えると、横浜グリッツが成功した時に必ずその先が見えてくる」との思いがあったからだ。
チームには関東大学リーグの2部相当でプレーした選手や、一度は引退しながら現役復帰した選手もいる。「仕事をしながら練習もして、なおかつ今までトップリーグで試合をしていない。でも、みんなプレースピードに慣れて(試合が)できているのは、すごいこと。仕事と競技を両立させている選手たちには価値がある」。平野が実感を込めるのは、自身もデュアルキャリアを実践したからだ。
新着
会員限定