自動車レースの最高峰、F1世界選手権シリーズは3月26~28日にバーレーン国際サーキットで行われるバーレーン・グランプリ(GP)で開幕する。日本のF1ファンにとって、今年は新たな楽しみが生まれる。20歳のF1ドライバー、角田裕毅(つのだ・ゆうき)の存在だ。昨年まではレッドブル、アルファタウリにパワーユニット(PU)を供給しているホンダが日本勢の代表だったが、いわば「モノ」に加えて今年は「ヒト」が加わる。カーナンバーは「22」。今年のグリッドに並ぶ10チーム、20人のF1ドライバーの中では最年少で、2000年代生まれで最初のF1ドライバーとしてデビューする。(時事通信運動部 佐々木和則)
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日本人のF1ドライバーは2014年にケータハム・ルノーで走った小林可夢偉が直近で最後のレギュラードライバー。角田は可夢偉以来、7年ぶりのF1正ドライバーとしてアルファタウリ・ホンダからバーレーンGPでデビューを飾る。00年5月11日生まれで、神奈川県相模原市出身。バーレーンGPを20歳10カ月で迎える身長160センチと小柄な若者は、日本人10人目のフル参戦F1ドライバーとしてのスタートを切る。
過去の日本人9人の中では、中嶋一貴が最年少のF1ドライバーだった。ウィリアムズ・トヨタからのデビュー戦になった07年最終戦のブラジルGPの時が22歳9カ月。年が明け、ウィリアムズでレギュラードライバーに昇格して臨んだ08年開幕戦のオーストラリアGPは23歳2カ月で出場している。日本人初のF1フル参戦ドライバーで一貴の父、中嶋悟は1987年開幕戦のブラジルGPでロータス・ホンダから34歳でデビューした。同僚はブラジルの英雄、アイルトン・セナ(故人)だった。角田が一貴の日本人最年少記録を更新するのは間違いない。
モータースポーツ、特にF1は若くしてデビューした方が、将来的なチャンスは確実に広がる。サーキットに慣れ、チームメートになるドライバーとの争いに勝ち、そして他チームのライバルを打ち負かしていけば、おのずと上位チームのレギュラードライバーへの切符がもたらされ、トップレーサーへの道が開ける。ワールドチャンピオンになった歴戦のドライバーたちには例外こそあるものの、ほぼそのルートで世界一のドライバーになっている。
F3、F2を各1年で通過
角田はどうか。日本国内でのレース活動を経て、海外に出たのが19年。19歳のシーズンをF3で過ごし、1年でF1直下のF2に昇格。20歳のシーズンはF2で戦い、優勝3度を含む表彰台7度(2位3度、3位1度)、ポールポジション(PP)は4度。ルーキーながら堂々のランキング3位でF1参戦に必要なスーパーライセンス取得条件を満たし、レッドブル傘下のアルファタウリからのF1デビューを腕で勝ち取った。既にF1公用語の英語も流ちょうに話す。角田のドライバー人生を考えれば、F3とF2を、それぞれ1年で通過できた意味は非常に大きい。
角田は昨季を振り返り、「多くのことを改善できて、非常に成功したシーズンだった。中盤までは一貫性に欠けていたが、その後は心理トレーナーと一緒に仕事をして、レースへの準備方法やレース中の態度など、さまざまな要素を話し合った結果、精神面で大きく向上した」。本人いわく、中盤までは「焦りが出てくる弱点」があったが、目の前のことに集中する取り組みが実を結んだ。F2最終戦の第1レースはポール・トゥ・ウインで3勝目を挙げ、第2レースでは2位で表彰台に。望みうる最高の結果を残し、F2最優秀新人に加え、日本人では初めて、国際自動車連盟(FIA)のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
琢磨「夢を託すというか、楽しみ」
昨年12月。F1昇格を決めた角田について、帰国した佐藤琢磨に聞いた。昨年のインディアナポリス500マイル(インディ500)で2度目の優勝を遂げたレジェンドは「彼自身も期待値が高いだろうし、若くしてチャンスをつかんだ。突破力を持っている。周りの期待も高いと思うが、自分らしいレースを上のクラスに行ってもやってほしいし、ここからは彼のドライバーとしての魅力が出てくる。ただひたすら楽しみ」と期待感を口にした。
佐藤自身は現在、角田が卒業した鈴鹿サーキット・レーシングスクールのカート部門とフォーミュラ部門の校長を務めている。「僕は直接指導をしていない。スクールを卒業してすぐ日本でF4チャンピオンになって、海外で素晴らしい活躍を見せてくれている。タイミング、学んでいくスピード。バランスが取れている。チャンスを生かして、きっちり結果に結び付けている」と称賛。日本勢では自身を含む3人による3位がレース最高成績のF1。角田がそれを上回る可能性については、こう話した。「僕らと違う新しい世代の日本人ドライバーとして、自分たちがなし得なかったことを、夢を託すというか、楽しみにしている」
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