5人を殺しても死刑にならない。そんな判決が最高裁判所で確定したのは、この1月のことだった。一般市民が参加した一審の裁判員裁判では、死刑が言い渡されているにもかかわらずだ。なぜ、死刑にならないのか。そこに裁判員裁判の問題も浮かび上がる。
のどかな集落の惨劇
事件は、兵庫県の淡路島で起きた。緩やかな丘陵を利用するように田んぼが段々に広がる中に、大きな瓦ぶきの家がぽつりぽつりと点在するのどかな集落。「お父さんが刺された」。ある家に、隣に住む30代の娘がサンダルで駆け込んで来たのは、2015年3月9日の夜明け前のことだった。この時には、娘の父親と母親、それに祖母の3人が家に押し入った男に刃渡り約18.6センチのサバイバルナイフで刺され、さらにその前に、もう一軒の別の家でも老夫婦2人が刺されていた。
娘が逃げ込んだ家は、すぐに110番する。刺された父親も自ら通報していたようだ。時間をおかずに警察官が駆け付けてきて、娘を保護していった。それから間もなくだった。近隣に住む40歳の男が、自宅にいるところを身柄確保された。刺された5人はいずれも絶命している。
ところが、警察官から男の顔写真を見せられた近隣住民は、皆一様に驚いた。誰だか知らなかったからだ。「お父さんによう似とるけど、息子さんがあそこに暮らしているとは知らんかった。いることも分からんかったんです」。現地の人たちは、私の取材にそう語っていた。いわば完璧な「引きこもり」だった。入通院歴があり、措置入院も2度あった。ずっと投薬治療を続けていた。
「正常な判断」なのか
その一審の裁判員裁判。17年3月22日に神戸地裁は判決の中で、こう認定している。「被告人は、精神刺激薬リタリンを長期間、大量に使用したことにより薬剤性精神病に罹患(りかん)し、その症状として体感幻覚、妄想着想、妄想知覚等があったところ、インターネットや書籍でその原因を調べるうちに、『日本国政府やそれに同調する工作員らは一体となって、電磁波兵器・精神工学兵器を使用し個人に攻撃を加えるという行為、すなわち精神工学戦争を行っている』という思想を持つに至った」
殺害した一家はその工作員であり、犯行は電磁波兵器・精神工学兵器に対する反撃だった、と男は主張していた。二つの精神鑑定結果も証拠採用されていたことから、判決は「すべて被告人の罹患している薬剤性精神病の症状として説明がつく」と断定している。
ところが、判決は「精神工学戦争」について、こう述べている。「同様の考えを持つ人物は被告人以外にも存在し、医学博士を含む権威のある人物が書いた複数の書籍に電磁波兵器・精神工学兵器に関する記述が存在する。被告人は、インターネットを通じて同様の考えを持つ複数の人物と交流し、上記の書籍を読むなどするうちに、そのような世界観を身に付けた」。だから、「このような世界観自体は必ずしも妄想とはいえない」というのだ。
その上で、被害者らは工作員で自分が攻撃を受けているとの妄想を前提としているものの、殺害を決意し実行した過程は「病気の症状に大きく影響されたものではなく、正しく被告人自身の正常な心理による判断といえる」として、完全責任能力を認め、死刑を言い渡している。
被害者が5人という重大さから、どうしても極刑に持ち込みたい庶民感情が働いたのかと勘繰りたくもなる。
二審の大阪高裁は、職権で再鑑定を実施。結果は「妄想性障害」とされた。そして20年1月の判決で高裁は「症状は重篤化しており、妄想の影響で犯行に至った」と心神耗弱状態だったと認定、一審の死刑判決を破棄して無期懲役とした。
刑法39条には「心神喪失者の行為は罰しない。心神耗弱者の行為は刑を減軽する」とある。弁護側は心神耗弱ではなく心神喪失による無罪を主張して上告。21年1月20日付で最高裁第3小法廷(林景一裁判長)は、被告側の上告を棄却する決定をした。5人殺しても死刑が回避される結果となった。
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