昨年、東京五輪・パラリンピックの1年延期が決まった時、これが五輪のあり方を再考する好機になるとの意見もあったが、東京大会の通常開催が不可能になった今、いやでもその時が来る。一橋大・坂上康博教授(スポーツ社会学)と考える五輪の「アフターTOKYO2020」は―。(時事通信社・若林哲治)
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―中止にせよ無観客にせよ、その後の五輪にはどんな影響が考えられますか。
坂上氏「一つは開催都市がさらに減ることです。これから経済発展を図ろうとする国は別として、成熟した近代国家では五輪は一段とリスクの大きい、敬遠すべき存在になるだろうと。今でさえ世界ではそんなリスクは負わない、無駄遣いはやめようと、五輪反対運動が起きている。それが今回、中止のダメージがどれぐらいで、開催地になったらこうなると明確に分かってしまいましたから」
―死活問題になります。
「IOCの収入が相当なダメージを受ける。テレビの放映権料、スポンサー契約料、入場料収入。それが各国・地域オリンピック委員会(NOC)、国際競技団体(IF)に流れる構造も機能しない。悪循環に陥り、スポンサーやテレビに何が何でもしがみつく、政治との結びつきも強まるというシナリオもあり得ます。また、その正反対の方向として、五輪の抜本的な見直し。五輪の規模が持つリスクについても、今回のコロナで皮膚感覚的に実感できるじゃないですか」
―今までは、参加国の増加は途上国も出られるようになったということだし、競技数が増えれば地味な競技にも光が当たる、女性の種目も増やすと、規模の拡大は五輪運動の発展を表すものでもあった。同時に莫大な利益をもたらすようになってカネの問題が表面化し、開催国の負担も重くなって批判が起き、IOCも「アジェンダ2020」を策定して取り組んではきました。ただ大半の観衆は終わってしまえば感動、感動で、肥大化や五輪のあるべき姿は他人事だった。それがコロナによって、生命の危険や税金の使い道が五輪と結びつき、自分の事になりました。
「もともと無理なことをやっていたことが白日の下にさらされ、そもそも何のためにやるのかまで踏み込んで改革の議論が起こり、人命を本当に尊重した形での五輪を目指すとか、そういう方向を期待したい。その可能性もあるのではないですか」
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