1964年東京五輪から3大会連続でマラソンに出場し、メキシコ五輪で銀メダルを獲得した君原健二さん(80)が3月27日、聖火ランナーとして福島県須賀川市を走った。同市は、共に東京五輪に出場した「戦友」、円谷幸吉さんの故郷。「幸吉さんと一緒に」。メキシコ大会前に自死した円谷さんを思いながら聖火をつないだ。
同学年の2人は長年のライバルだった。東京五輪では、8位だった君原さんに対し、円谷さんは自己新記録で銅メダルを獲得。大会期間中、他の競技を観戦するなど出歩いていた当時の自分を、君原さんは「精神的に未熟だった」と振り返る。その一方、常にコーチらと行動を共にし、冷静さを失わなかった円谷さんの姿が印象に残るという。
自身のメダル獲得はならなかったが、それでも「生涯最大の思い出。国民に感動と勇気、希望を与えられた」と東京五輪を振り返る。
続くメキシコ大会の前年。東京大会のレースについて、円谷さんから「(ゴール目前の)競技場の中で追い抜かれたことを申し訳なく思っている」と聞かされた。「メダルを取る。それが国民との約束だ」と話していた円谷さんだったが、その後は度重なる故障に悩まされ、27歳で命を絶った。「責任感の強かった幸吉さんは追い詰められ、苦しんでいたのだろう」。大切な仲間の分もと自らを奮い立たせ、銀メダル獲得につなげた。
君原さんは毎年秋、須賀川市で開催される「円谷幸吉メモリアルマラソン」に参加し、円谷さんの墓を訪れている。27日は聖火リレー前に墓参し、ランナーを務める喜びを伝えた後、円谷さんの写真を首から下げ、「円谷ランナーズ」の子どもたち20人とトーチを持って駆け抜けた。
君原さんは「円谷さんとともに希望の聖火をつなぎたいときょうを待っていた。オリンピックに出たときのようにうれしかった」と語った。(2021.3.27)
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