紹介されたクリニックには、直接行くことのないように、まずは診療時間内に電話をして発熱相談センターからの紹介であることを伝え、そこで指示を受けるように言われた。
翌朝、その通りクリニックに電話をすると、保険証番号の確認や薬のアレルギーの有無などの簡単な聞き取りをした上で、午後に折り返し電話をかける、と言われた。折り返しの電話は、午後3時を回っていた。電話口に出た医師は女性だった。そこから「電話診療」が始まり、その日のうちにPCR検査を受けることが決まった。検査の実施については、準備もあるので後で看護師から電話する、と言って電話は切れた。
1時間後、同じクリニックから電話が入った。きょう夕方5時半にクリニックに来るように。さらにこう言われた。「料金は3000円でお釣りが出るくらいでしょうが、検査を受けていただく方には1万円札を用意していただいていますので、ご準備ください。それを受け取って、お釣りと保険証を袋に入れてお返しします」。こちらの複数枚の手渡しによる紙幣や硬貨からの感染を恐れてのことであることは分かった。それならば、こちらからクリニックへの出入りは、通常の玄関、受け付けでいいのか尋ねる。「通常の診察時間を早めに切り上げて、他の患者さんと接触しないようにしておきますので、そのまま受け付けまで入って来てください」
日も暮れて真っ暗になったクリニックの玄関前には、この日は診察時間終了が通常の午後6時より早く切り上げられることが告知されていた。私の訪問時間よりも15分前の終了だった。
受け付けでは、透明な仕切りの向こうから女性スタッフが私の顔を見るなり、そこに座って待機しているように指示した。名前の確認もなく、待合室に人影もなかった。初対面なのに私が誰で、何の目的で来ているのか理解している。
女性スタッフは、それから私を受付台に呼ぶと、透明な仕切りの脇から両手を差し出すように言い、アルコール消毒液を噴霧した。そして、使い捨ての手袋を出してきてその上から装着させる徹底ぶりだった。額に光を当てて熱を測り、手袋のまま指をパルスオキシメーターに挟み、血中酸素飽和度を測定する。いずれも正常値だった。測定結果を記録した紙を、今度はこっちにボールペンと一緒に差し向けて、必要事項を記入するように言った。住所や氏名、症状の有無などをチェックするものだったが、ブカブカのビニール手袋をしての記入は滑って随分と苦労する。
準備した1万円札と保険証を渡すと、エレベーターで4階に上がるように指示された。開いた扉の向こうに完全防備のスタッフが2人立っていた。その後の展開は前述の通りだ。
医療従事者の矜持
「では向こうを向いたまま、手袋を外して、右隣にある袋の中に入れてください」。10分もたたずにサンプル採取が終わると、そう言われた。気が付くと、私の座った右隣にコンビニの買い物袋のような袋が、口を広げて置かれていた。入れられた使用済み手袋は、慎重に処分されるのだろう。「では荷物を持って1階に下りてください」
部屋を出てエレベーターを待つ間に、元の部屋を振り返って見た。防護服の1人が私の座っていた場所に消毒液をまいて、徹底的に拭き取っていた。まさに汚染物を扱うような対応だ。だが、私の他に同じ検査を受けるような存在は見当たらなかった。それは1階の受け付けに下りても、誰も待機していなかったことからも推察できた。終業時刻からしても、恐らくあの2人も私だけのために完全防備の支度をして、私の検査が終われば防護服もすべて処分するのだろう。彼らだってウイルスは怖い。医療従事者だけにその怖さを知っている。だからといって、検査が必要な者を放って置くこともできない。
たった1人のために細心の注意を払って、準備をする。そのためにCT室を代用する。そして、このクリニックも私だけのために診療時間を切り上げて、私のためにのみ開放して待っていたはずだった。そう思うと、申し訳ない気持ちと共に、このコロナ禍に向き合う医療従事者の矜持(きょうじ)に頭が下がる思いだった。怖くても、1人も見過ごさないという覚悟。淡々と作業をこなす姿勢。
1階では、女性スタッフが待っていた。「では、こちらがお釣りと保険証になります」。そう言ってビニール袋に入った現金と保険証を出してきた。きっと私の1万円札は消毒されていることだろう。私が通った場所も後で消毒されるはずだ。「結果はあさってになるはずです。お電話でお伝えします」。そんなに早く結果が出るのか。報道では2日以上かかると伝えられていた記憶だ。最前線の現場は、どんどん状況が変化している。
2日後、昼すぎに電話が鳴った。女性の声がして、これから医師が検査結果を伝えると言った。保留音を挟んで、男性に代わった。その男性医師が、あっさり言った。「検査結果は、陰性でした」。思わず、こう言った。「ありがとうございます」。まったくそぐわない答えに、直後に自分でも失笑してしまった。でも、その気持ちはスタッフに伝えたかった。
そんな東京の片隅をはじめ、日本全国で同じようなことが毎日繰り返されている。ウイルスの侵食を恐れながらも、工夫と対策を凝らした局地戦が続いている。
◇ ◇ ◇
青沼陽一郎(あおぬま・よういちろう) 作家・ジャーナリスト。1968年長野県生まれ。犯罪・事件や社会事象などをテーマに、精力的にルポルタージュ作品を発表している。著書に「食料植民地ニッポン」「オウム裁判傍笑記」(ともに小学館文庫)、「私が見た21の死刑判決」(文春新書)、「侵略する豚」(小学館)など。映像ドキュメンタリー作品も制作。(2021年1月28日掲載)
新着
会員限定