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「エペ」の大器、殻破った山田優 東京五輪でフェンシングの主役に

アジア選手権で一躍脚光

 世界で戦うレベルに底上げして久しい日本のフェンシング界で、男子エペの山田優(26)=自衛隊=が東京五輪の主役候補に名乗りを上げている。現在の世界ランキングは2位。ジュニア時代から逸材との呼び声が高く、日本代表になってからの「踊り場」を経て、再び上昇カーブを描いてエース格に。来夏のメダル獲得に向け、剣を研いでいる。(時事通信運動部 山下昭人)

◇ ◇ ◇

 男子エペの日本チームの中で3、4番手だった山田が一躍脚光を浴びたのが、2019年6月のアジア選手権だった。3回戦で中国選手に1点差の勝利。準々決勝ではアジア屈指の強豪、カザフスタン選手を15-13で撃破した。宇山賢(三菱電機)との日本人対決となった決勝でも競り勝った。

 184センチの大柄な体、長い両腕。歓喜を全身で表現した。「お前はいつになったら結果出すんだと言われ、すごくプレッシャーに感じていた。他の選手がぼんぼん結果を出して、悔しいなという気持ちがあった」。優勝後のインタビューで、率直に胸の内を語る姿が印象的だった。

躍進理由は「妻のサポート」

 同年11月の全日本選手権決勝で、エースの見延和靖(ネクサス)に勝って日本一に。年が明けると勢いはさらに加速した。20年1月の国際大会グランプリ(GP)で個人初の表彰台(3位)。ブダペストで行われた3月のGPでは念願の初優勝を遂げた。いつの間にか、世界ランキングは見延を抜き、日本人トップの2位に駆け上がっていた。

 躍進の理由について、真っ先に「妻のサポート」を挙げる。18年に結婚した里衣さん(29)も世界選手権出場経験を持つ元エペ有力選手。19年にナショナルチームから外れたのを機会に現役を退き、栄養管理などで山田を全面的にサポートするようになった。競技から離れることに心残りがある様子の妻を見て、こう思った。「今までは自分のために頑張っていたけど、家族のために頑張ることがさらに自分を奮い立たせた」

フルーレで結果出せず

 三重県出身の山田は、小学2年時から地元鳥羽市にあるフェンシングクラブに通った。後に女子エペ日本代表となる2歳上の姉あゆみさんも一緒。始めたきっかけは、「近所に住むいじめっ子を突くためだった」と言って笑わせる。

 フェンシングには「エペ」「フルーレ」「サーブル」の五輪3種目がある。日本国内では歴史的に、攻撃の優先権を奪う駆け引きがあるフルーレを中心に普及、強化されてきた。08年北京五輪で太田雄貴(現日本協会会長)が日本勢初のメダル(銀)を手にし、12年ロンドン五輪では団体銀メダルに輝いた。これは、どちらもフルーレだ。山田も当初はフルーレの剣を握ったが、結果がなかなか出なかった。

ウクライナ人コーチの目に留まる

 中学2年時、フルーレから逃げるような気持ちでエペの大会に出たことが転機になった。ウクライナ出身でエペの日本代表コーチを務めるオレクサンドル・ゴルバチュク氏の目に留まり、「エペなら五輪に出られる。フルーレはもうやらなくていい」と勧誘された。エペは優先権がなく、先に突けば勝ちというシンプルなルール。「(エペでは)日本人は勝てないと聞いていたので、そっちで勝ってやろうと思って」迷わず転向を決意した。

 母子家庭で育った山田にとって、父親のような存在だったというゴルバチュク・コーチの熱心な指導を受けた。めきめき腕を上げ、鳥羽高2年時から全国高校総体(インターハイ)を2連覇。そして日大に進んだ後の14年4月、ブルガリアで開催された世界ジュニア選手権で優勝を果たした。「調子は良かったですね。メダルを取れたらいいぐらいの感覚で、特に何も考えていなかった」。ジュニアのカテゴリーとは言え、世界トップとは実力差があったエペで日本男子が頂点に立つのは史上初。その快挙にフェンシング関係者は沸き上がった。

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