12月6日の福岡国際マラソンで、一般参加の吉田祐也(GMOインターネット)が日本歴代9位に並ぶ2時間7分5秒の好タイムをマークして初優勝した。当初は今春の青学大卒業とともに競技から離れるつもりだったが、今年1月の箱根駅伝で青学大の総合優勝に貢献し、翌2月の別府大分毎日マラソンでは日本人最高の3位。内定していた企業への就職から進路を変更し、競技続行を決めた。一躍、2024年パリ五輪のマラソン代表候補に浮上した23歳。恩師の一言で人生が大きく変わった。(時事通信運動部 青木貴紀)
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自身2度目のマラソンとなった福岡国際は、独走だった。31キロ付近で競り合っていた藤本拓(トヨタ自動車)が遅れ、残りは一人旅。37キロ以降は一度ペースが1キロ3分8秒に落ちても、また同3分1秒に戻して立て直し、粘り強く走り抜いた。「力を100%出し切って優勝できたのがうれしい。競り合いがない中で、タイムは非常に良かった」。会心のレースに何度も右拳を突き上げた。
さかのぼれば、わずか11カ月前までは競技から退く意向だった。大学4年で初めて出場した箱根駅伝の4区で区間新記録の快走を披露し、往路優勝と2年ぶりの総合優勝の原動力となった。周囲から引退を惜しむ声が上がっても競技生活に区切りをつける意志は揺るがず、大手菓子メーカーのブルボンに就職しようと考えていた。
原監督「別大に出てみないか」
ここから運命が動き出す。箱根駅伝の数日後。2月の別大マラソンで青学大の原晋監督がテレビ中継のゲスト解説を務めることになり、出場を打診された。「教え子が一人も出ないと寂しいから、箱根も走れたし、出てみないか」。吉田はそこから約1カ月、急ピッチで準備して初マラソンに挑んだ。
すると、終盤まで外国人選手と競り合い、自ら仕掛ける積極性も見せて、日本勢トップの3位に入ってみせた。タイムも初マラソン日本歴代2位、日本学生歴代2位となる2時間8分30秒。「準備が全然足りなくて、失敗と成功の紙一重のところにいて、たまたま成功した。準備ができれば、必ず記録を伸ばせると確信した」。マラソンランナーとしての可能性を感じ取った。
内定辞退、結果で恩返し
この結果が決め手となり、競技続行を決意。内定先のブルボンに断りを入れた。このような経緯があるからこそ、覚悟は人一倍強い。「努力は評価してくれなくていい。ブルボンさん、GMOさんが競技をやってくれてよかったと思える結果を残したい」。活躍することが、快く背中を押してくれたブルボン、受け入れてくれた所属先への最大の恩返しになると自覚している。
「ただやみくもに競技をやるのはだめ。正しい努力を地道に継続することが一番だと思った」。春は新型コロナウイルスの影響で自宅で過ごす時間が増えたことを有効活用。心理学や運動生理学などの文献や論文を読みあさり、トレーニングの知識を深めた。研究熱心なだけではなく、原監督が「青学大史上、最も練習した」と振り返るほどの「練習の虫」。目的を理解した上で、2時間半のロングジョグで土台をつくり、ペースを変化させながら21~30キロ走をこなすなど、妥協のない練習を一人で黙々と積み重ねた。「何もやり残したことがない」と言い切る練習は裏切らなかった。
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