ここ数年、神社巡りをする人が増えた。だが一口に神社巡りといってもいろんな方法がある。
例えば、その地域で一番の格式をもつ一宮(いちのみや)を巡るもの、「縁結び」「財運」などご神徳を絞って巡るもの、文化財の拝観を目的としたものなど。
今回ご紹介するのは岬に鎮座する神社である。岬は日本の信仰上、重要な意味を持ち、神話でも岬を舞台としたものが少なくない。
岬にはどんな神社が鎮座し、どのような歴史があったのか。旅の記録を基に6社ご紹介したい。コロナ禍のため神社巡りもままならない現状ではあるが、しばしの知的探究旅行を楽しんでいただきたい。
崖の上の鳥居 美保神社の地之御前・沖之御前
神社は寺院と比べ、立地に大きな制約がある。神社は神様に供物などをささげてお祀(まつ)りする場所であるから、神様が喜んで鎮座してくれるような穢(けが)れのない所でなければならない。
山の中腹や麓に神社が多いのは、山は神様が住む場所と信じられていたからだ。富士山や白山(はくさん)といった有名な霊山となると、周囲に複数の神社が鎮座している。
また、海辺にも神社は多い。そこには、海の向こうから神様がやって来るという信仰がある。
日本の信仰において岬はどのような意味を持っていたのか、環境民俗学者の野本寛一氏は『神と自然の景観論 信仰環境を読む』(講談社学術文庫)で次のように述べている。
「日本人は、古来、その岬を、魂の原郷『常世(とこよ)』への旅立ちの場と意識し、また、常世から神々が依(よ)り来る聖なる場として守りつづけてきた」
「常世」は神々が住む一種の理想郷だ。岬は常世から神々が訪れる場所であり、死者の霊が飛び立つ場所、いわば常世と陸地を結ぶ滑走路のようなところといっていいだろう。
神話も岬を舞台としたものが多い。
例えば、「因幡の白ウサギ」は鳥取県の気多岬が舞台であるし、日本の国づくりをしたオオクニヌシの神がスクナビコナの神と出会ったのは島根県の美保岬(地蔵崎)である。また、アマテラス大御神(おおみかみ)の孫のニニギの命(みこと)が花の女神コノハナノサクヤビメの命と出会って、一目ぼれしたのも鹿児島県の笠沙(かささ)の岬だ。
このうち地蔵崎の付け根の美保関には美保神社が鎮座している。美保神社はオオクニヌシ神の御子神コトシロヌシの神をお祀りする神社で、神話に由来する祭りも多い。出雲大社と並んで出雲を代表する神社である。壮大な本殿・拝殿も興味深いのだが、ここでは境内の外にある末社に注目したい。
美保神社から海岸沿いの道を岬の先端に向かって歩くこと20分ほど、美保関灯台の裏手に目指す場所はある。
といっても、そこにあるのは鳥居と小さな賽銭箱(さいせんばこ)だけだ。鳥居の向こうはすぐに崖で、雄大な日本海が広がっている。この場所は沖にある二つの島、地之御前・沖之御前を礼拝する場所なのだ。この二つの島はコトシロヌシの神が釣りをしていた所とされ、美保神社の末社となっている。
毎年5月5日には沖之御前から神霊を迎える「神迎神事」も行われる。野本氏は先に引用した本で「先島(岬の沖に浮かぶ島のこと)は、常世から神が陸地に依り着く飛び石なのである」と述べているが、まさにそのことが祭りで表現されている。
このように、岬の神社は神話の世界に通じる場所なのだ。そして、絶景ポイントでもある。
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