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ドラフト1位右腕の貴重な「回り道」 伊藤大海、道産子で地元日本ハムへ

苫小牧の漁港で入団交渉

 少し異色の経歴を持つ23歳の本格派投手が、プロ野球の日本ハムに入団する。ドラフト1位で指名された苫小牧駒大の右腕、伊藤大海(いとう・ひろみ)投手だ。日本ハムの1位指名は近年、ダルビッシュ有(現カブス)に始まり斎藤佑樹、大谷翔平(現エンゼルス)、清宮幸太郎、吉田輝星と甲子園や神宮を沸かせ、全国的に知名度が高い選手が目立つ。伊藤にそうした華やかさはない。学年で言えば、ルーキーながら今季10勝を挙げた森下暢仁(広島)らと同じ。大学時代に1年間の「回り道」があるからだ。やがて大学日本代表へと成長した貴重な1年でもある。北海道鹿部町生まれ。日本ハムが2004年にフランチャイズを北海道に移してから、地元出身選手をドラフト最上位で指名したのは初めて。「道産子1位」としても注目と期待が高まっている。(時事通信札幌支社編集部 藤井隆宏)

◇ ◇ ◇

 伊藤は12月1日に北海道苫小牧市内で仮契約。入団交渉の場は、晴天の苫小牧漁港だった。肌を刺すような冷たい風が吹く中、現れた伊藤は太平洋をバックに地元名産のホッキ貝を手にして笑顔を見せた。

 海を背にして「名前(大海)にも入っているし、リフレッシュできる場。もっと緊張するかと思ったが、少し気持ちが楽になった」。漁業関係者の家に生まれ育ち、大学時代は趣味の釣りや、気分転換のために訪れていた身近な海だったという。

盛田幸妃さんと同郷

 海辺の鹿部町は、函館市に近い。横浜大洋(現DeNA)などでプレーした故盛田幸妃さんの出身地でもある。盛田さんは函館有斗(現函館大有斗)高からドラフト1位で1988年にプロ入りして救援投手として活躍。92年には最優秀防御率のタイトルを獲得した。近鉄に移籍後は脳腫瘍からの復活を果たし、現役引退後、45歳で早世。記憶に残る名投手だった。

 伊藤が小学生の頃には、地元で少年野球の大会「盛田幸妃杯」があった。盛田さん本人が訪れたこともあり、野球少年の誰もが憧れるプロ野球界を身近に感じたという。「自分にとっても、プロ野球選手という世界も夢のはるか先という感覚はなかった」

空白期間、飛躍のきっかけに

 強豪の駒大苫小牧高に入学し、甲子園にも出場。2014年の選抜大会では1回戦の創成館(長崎)戦で完封した。東都大学リーグの名門、駒大に進学。順調な野球人生を歩んでいたが、1年生の途中で大学をやめた。北海道に戻って苫小牧駒大に入り直す。ただし、規定により1年間、公式戦には出場できなかった。この空白期間が、飛躍のきっかけを生むことになる。

 試合に出られない時間を生かし、ランニングフォームやウエートトレーニングなど基礎を一から掘り起こした。「一人で闘い抜いた1年だった」。それが投球フォームの進化へとつながり、150キロを超える直球と切れのある変化球を武器に北海道六大学野球リーグを代表するエースに君臨。大学日本代表に選ばれ、国際大会では抑え投手を務めた。「自分の意志を貫き通せた結果が、今(ドラフト1位指名)の段階に来ている」

経験をユーチューブで発信

 今年3月には自身でユーチューブ公式チャンネルを開設した。その中で、キャッチボールのルーティンについて何段階にも分けて分かりやすく解説したり、家の中でできるストレッチや体幹トレーニング法を紹介したり。自身が積み上げてきた経験の一端をうかがわせている。

 日本ハムのスカウト部長、大渕隆さんは伊藤との会話の中で、試合に出られなかった時期について話を聞いたという。「細かい部分、技術的な部分をすごく意識していて、最終的には『走ることが非常に重要』にたどり着いたと言っていた」

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