大学生ら若者による反政府集会やデモ行進が本格的に始まって3カ月。タイは今、紛れもなく政治の季節を迎えている。デモ隊はプラユット首相の3日以内の辞任を求めて10月半ばに一時休戦に入ったが、首相がこれを拒否したことから街頭デモを再開。主要駅などでの集会を継続している。若者は「民主化」を口にし、抵抗の象徴である3本指を立てるポーズで政権の退陣を求める。それを伝える日本や欧米の大手メディアは、香港やベラルーシなどの民主化デモに列してこれを報じている。だが、本当にそれが正しい理解なのだろうか。タイの「民主化」デモの背景には、この20年来、この国をむしばんできた抜き差しならぬ権力闘争の構図が潜んでいることをもっと知っておかねばならない。
インラック前首相の投稿
国外逃亡中のインラック前首相が「6年前を覚えていますか」という書き出しで始まるメッセージを、SNS(交流サイト)のフェイスブックに投稿したのは10月17日。警察が刺激性のある薬剤入りの放水でデモ隊を強制排除し、国際社会から批判を浴びた翌日のことだった。投稿は「(陸軍司令官だった)プラユット氏はデモ隊から辞任を求められていた私に対し、大丈夫かと尋ねました。今それらを思い出し、(同氏には)迅速な決断をしてほしいと願っています」と皮肉交じりに続け、暗に退陣を求める言葉で締めくくった。さぞ痛快にタイからのテレビ報道を眺めていたに違いない。
2014年5月の陸軍による軍事クーデター以降、兄のタクシン元首相は中東のドバイなどから、妹のインラック氏も17年8月の国外逃亡以後は同様に中東などを拠点として、SNSで繰り返し政治的メッセージを発信し続けてきた。批判の矢面はもちろん、自分たちを国外に追いやったクーデターの張本人であるプラユット現首相だ。それは多くの場合、タイ国内の反政府政治集会などと絶妙なタイミングで連動し、最大効果を上げるための演出でもあった。
通信事業などで財を成したタクシン財閥率いるタクシン元首相が、国内になお多く残る支持者や、タクシン派の実動部隊である最大野党タイ貢献党に巨額の資金援助を行っていることは広く知られた事実だ。米経済誌フォーブスが発表するタイの長者番付でも、元首相は毎年10位前後にランクインし、その財力に陰りがないことが明らかとなっている。2人の元首相が海外からタイ国内の一大政治勢力をコントロールしていることはもはや疑いがない。
それは、昨年実施された総選挙でも明らかとなった。タクシン派は首相候補にワチラロンコン国王(68)の実姉ウボンラット王女(69)を担ぎ上げ、政権側を揺さぶるという前代未聞の奇策に出た。最終的に国王が実姉を諭し自制させる一方、憲法裁判所が、擁立したタイ貢献党の衛星政党「タイ国家維持党」を解党処分としたことから不発に終わったものの、タクシン派の底力を久しぶりに見せつける「快挙」でもあった。
直後の総選挙の結果でもそれは顕著だった。タイ貢献党は不利な選挙制度にもかかわらず、比較第1党の地位を確保。前身党の「タイ愛国党」が挑んだ01年以降の総選挙で連戦連勝、負けなしの結果を出している。陸軍をバックとした第2党の親軍政党「国民国家の力党」が薄氷の多数派工作をして、かろうじて発足させたのが現プラユット政権だった。
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