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戦後保守政治の裏側11 政治による「言語操作」再論 歪曲を許し忘れるほど緩い国ではないはずだ

時代の「空気」に「水を差す」

 戦争を経験した世代は、そうはならなかった。「日本軍は頑張っている。勝つと言っている。批判している場合ではない。進め一億火の玉だ」と言っているうちに、300万人の国民が死んでしまったことを忘れなかったからだ。

 泥沼の中国戦線、無謀な米国との「戦争」はなぜ拡大したか。国をリードした権力が失敗したからだ。権力を担うエリートたちが判断を間違ったからだ。しかし、その失敗と敗北の責任は幾重にも回避され、戦果は水増しされ、不都合な真実を隠蔽した「大本営発表」によって国民は欺かれた。

 「それは嘘だろ」と思った人がいたとしても、「欲しがりません勝つまでは」という時代の「空気」に逆らうことはできなかった。「バケツで防火訓練をやったってB29の爆撃には無駄」「特攻攻撃で若者を死なせてよいわけがない」「そもそも戦争して米国に勝てるわけがない」と、「水を差す」ことができなかったのだ。

 一兵士として戦争を生き抜いた評論家の山本七平は、「空気」に「水を差す」ための「水」を、社会の「通常性」と表現した。これは、合理的な思考であり、真っ当な常識であり、現実である。これを逸脱して醸成される世間の「空気」を、山本は「虚構の異常性」と言った。

 安倍が辞任表明をした直後の今年9月に行われたNNNと読売新聞の世論調査によると、安倍政権の実績を「大いに評価する」「多少評価する」が合わせて7割を超えた。また、菅が「安倍政権継承」の方針を示したことにも、63%が支持している。

 この「空気に」に、「異常性」は潜んでいないのか。あえて、「水を差す」ことを言えば、安倍によって政治的言葉が軽くなっただけではなく、その意味が歪められた事例も散見された。

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