安倍は今年1月の施政方針演説で、「日本経済は、この7年で13%成長し、来年度予算の税収は過去最高」、この6年間で「雇用は380万人増加」「最低賃金も現行方式で過去最高の上げ幅」などと、自身の経済政策「アベノミクス」の成果を誇った。
しかし、将来への影響はどうなのか。有効求人倍率が上がったとはいえ、それは少子高齢化が招いた人手不足の影響でもあり、正社員が増えたといっても、それ以上に非正規雇用が増えている。一部非正規を除いて実質賃金も伸びていない。安倍が成果を強調する割には経済成長率も、デフレ脱却も、当初の目標に達していない。新型コロナウイルスへの対応もあって財政赤字は膨らむばかりである。
確かに、大企業は業績を上げ内部留保も蓄積した。しかし、それが実質賃金に反映されない。労働分配率は右肩下がりだ。それでも人々は怒らない。安い賃金にも慣れてきた。多少格差が広がっても、まるでそんなものかと諦めているようだ。「アベノミクス」のリスクに対する感覚は、あまりにも鈍い。
「アベノミクス」の成果をアピールする際にも片鱗が見えるが、安倍の特徴の一つが「大言壮語」だ。まず高い目標を打ち出す。達成できた部分をひたすらアピールする。未達成や失敗を批判されても、「民主党政権では実現できなかった」と比較優位性を強調して、ひたすら成果を繰り返す。
言葉通りの目標が達成されなくても許されるのであれば、政治は言葉に対する責任から解放される。単なる努力目標に堕するのだ。結果として政治の言葉は軽くなる。
安倍内閣の求心力となり、多くの国民に期待を抱かせた、拉致問題や北方領土返還についてもそうだ。「安倍内閣で拉致問題を解決する決意」と繰り返し、北方領土返還も「私が首相の時代に何とかこの問題を解決しないといけないと決意」「必ずや終止符を打つ」と強調していた。結局、拉致も北方領土も進展はなかった。ここでも安倍の「決意」は単なる努力目標だったと言えよう。そして最後は「断腸の思い」と言って許される。
「できない約束はするな。約束したら必ず果たせ。蛇の生殺しはするな」
これは元首相・田中角栄の言葉だ。田中が実際にそうだったかどうかはともかくとして、これが政治的リーダーの倫理であり、マナーではないのか。
政治の言葉が、「やっている感」のツールとなってしまった。そして、多くの国民が、この「言葉の軽さ」を許している。「いいじゃない、頑張っているんだから」「批判して足を引っ張らない方がいい」という「空気」が社会に広がっている。
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