大航海時代から多人種・多文化と交流してきたオランダ
欧州のオランダは、王室を持つ立憲君主国。現国王は日本の皇室とも親交の深いウィレム・アレクサンダー王だが、実は王妃のマキシマ妃はアルゼンチン生まれで、皇太子妃として王室入りした時にオランダ国籍を取得した。
そんな王室があるオランダは、日本の四国とほぼ同程度の面積に住む約1740万人のうち24.4%、およそ四分の一に移民としてのバックグラウンドがあるという(2020年7月現在)。この数字には、海外で生まれ移住してきた移民(第1世代)と、両親の少なくとも1人が移民であるオランダ生まれの住民(第2世代)が含まれている。さらに言うと、全住民の13.9%は非西洋からのルーツを持っている。
15~17世紀の大航海時代、海外貿易で「海上帝国」を築いたオランダは多人種、多文化と交流し、外国人をモチーフとしたモノやコトが本国で数多く生み出されもした。ただし、現代とはモラルやポリティカルコレクトネスが全く異なる当時のことなので、今では問題になる表現も数多く存在した。昨今、米国を起点とした人種差別反対運動「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切)」が注目されているが、多人種、多文化を受け入れてきたオランダで「人種差別的な表現」がどのように変遷してきたかについて書いていきたい。
もしかしたら「住民の約4分の1が外国ルーツ」と聞いても、それほど多くは感じないかもしれない。ただし外国ルーツ住人比率は都市間で差があり、首都アムステルダムやデンハーグなどの四大都市に集中している。この地域では、移民比率は3割を超える。
移民全体の中で一番多いとされているのがトルコ系で、すべての移民の約9.8%を占めている。それにモロッコ系の約9.6%、スリナム系の約8.3%が続く。
「スリナム」は日本ではあまりなじみがないかもしれないが、南米の北西部に位置し、オランダ語が公用語として用いられている。16世紀からオランダと英国の入植が始まり、17世紀にはオランダの植民地となった。1975年にオランダから独立し、現在は共和制国家となっている。正式名称は「スリナム共和国」。
オランダはこのスリナムのみならず、海上貿易や植民地経営を担った東インド会社を通じてインドネシアの統治も行うようになる。そして日本も含む多くの国や民族と貿易を交わすことで、多くの物品を本国にもたらした。
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