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登って楽しむ小さな富士山 「富士塚」の魅力

渋谷申博(日本宗教史研究家)

なぜ富士塚は造られたか?
 高さのみならず、その姿の優美さからも「日本一の山」とたたえられてきた富士山。

 『万葉集』にも「日本(ひのもと)の 大和の国の 鎮(しず)めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺(たかね)は 見れど飽(あ)かぬかも」(日の本とも呼ばれる大和の国の鎮めとも、眼前に現れた神様とも、宝ともいえる、駿河国の富士山は、いくら見ても飽きないものだなあ)と詠まれており、古くから信仰の対象とされてきた。

 しかし、昔から富士登山は容易ではなかった。

 11世紀ごろまでは頻繁に噴火していたので、登山には大きな危険が伴った。噴火が収まった中世以降は、山岳修行者などの信仰登山が盛んになったが、富士山はまだまだ庶民には縁遠い霊域であった。

 富士登山を庶民にも広げたのは富士講(ふじこう)という信仰組織だ。

 富士講は16世紀後半から17世紀初めにかけて活躍した長谷川角行(はせがわかくぎょう)によって始められたとされるが、急速に発展するのは富士講の指導者、食行身禄(じきぎょうみろく、1671~1732)が、富士山7合目の烏帽子岩(えぼしいわ)で断食入定(にゅうじょう=神仏の域に達するため絶命するまで断食すること)してからのことであった。

 富士講は町や村に「講」という信仰組織をつくり、定期的に集まって儀礼を行うとともに、年に一度、代表者が先達(せんだつ)という指導者とともに富士登山を行った。江戸からは、往復で10日前後かかったという。

 つまりそれだけの旅(そのうち2日間は富士山の上り下り)に耐え得る体力と時間的な余裕がある者でなければ、富士登山はできなかったわけだ。老人や病弱な者、足腰が悪い者などは、代表者が持ち帰ってくるお札や土産話で満足するしかなかった。さらに、富士山は女人禁制だったため、女性は体力や生活の余裕があっても行くことはできなかった。

 しかし、老人も女性も体が悪い者も、富士山に登りたかったに違いない。そこで、どんな人でも富士登山が体験でき、その霊験を得られる方法として考えられたものが富士塚であった。富士塚の高さは数メートルから十数メートルほどで、ジグザクの登山道の周りには、富士山の名所が造り込まれている。

 今年は新型コロナウイルス感染防止策のため富士山は開山されなかった。日本のシンボルともいえる富士山に登れないのは残念なことであるが、富士塚を訪ねてみるのはどうだろうか。

 ここでは東京周辺の実際に登れる富士塚をご紹介する。なお、富士塚には登山禁止のものも少なくなく、登山可能なところでも各種の規制を設けていることもあるので、「密」を避けることはもちろん、決まりを守って見学されたい。信仰の対象であるということも、くれぐれもお忘れなく。

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